北海道大学 歴史ノート No.7
国木田独歩と札幌農学校の交錯(一)旧友高岡熊雄との再会
大学文書館 井上 高聡
1885 年、国木田独歩(1871〜1908)は山口県山口中学校に入学した。
同級に高岡熊雄(1871〜1961、後に第3代北大総長)がいた。独歩は、英語教科書「ウィルソン・リーダー」で、自然への畏敬を詠ったイギリス詩人ウィリアム・ワーズワース(1770?1850)に出会い、強い影響を受けた。高岡は、独歩の文学的出発点に立ち会っていたのである。後に高岡は「国木田君は山口中学時代から文章が非常に上手であった」と回想している。1887年、国木田と高岡は相次いで山口中学校を退学し、それぞれ東京専門学校(現早稲田大学)、札幌農学校へと進学した。
8年後の1895年9月、2人は札幌で再会した。独歩は前年に従軍ルポルタージュ「愛弟通信」で新進作家として注目を集めていた。一方の高岡も、第13期生として札幌農学校を卒業し、農業経済学者としての道を歩み始めていた。
独歩はこのとき、北海道へ移住することを計画していた。高岡はその事情について、「独歩は東京で知り合ったある令嬢と周囲の反対を押し切って結婚し、ともに北海道に渡り空知川のほとりに住むつもりで、その下検分に来たのであった」と説明している。
同級に高岡熊雄(1871〜1961、後に第3代北大総長)がいた。独歩は、英語教科書「ウィルソン・リーダー」で、自然への畏敬を詠ったイギリス詩人ウィリアム・ワーズワース(1770?1850)に出会い、強い影響を受けた。高岡は、独歩の文学的出発点に立ち会っていたのである。後に高岡は「国木田君は山口中学時代から文章が非常に上手であった」と回想している。1887年、国木田と高岡は相次いで山口中学校を退学し、それぞれ東京専門学校(現早稲田大学)、札幌農学校へと進学した。
8年後の1895年9月、2人は札幌で再会した。独歩は前年に従軍ルポルタージュ「愛弟通信」で新進作家として注目を集めていた。一方の高岡も、第13期生として札幌農学校を卒業し、農業経済学者としての道を歩み始めていた。
独歩はこのとき、北海道へ移住することを計画していた。高岡はその事情について、「独歩は東京で知り合ったある令嬢と周囲の反対を押し切って結婚し、ともに北海道に渡り空知川のほとりに住むつもりで、その下検分に来たのであった」と説明している。
独歩は、この北海道旅行を題材にした小説「空知川の岸辺」で、空知川沿岸の原始林に座して「社会が何処にある、人間の誇り顔に伝唱する「歴史」が何処にある。この場所に於て、この時に於て、人はただ「生存」その者の、自然の一呼吸の中に托されておることを感ずるばかりである」と黙想する自身を描いている。「山林に自由存す」や「武蔵野」などと共にワーズワースの影響が顕著な独歩の代表作である。
高岡熊雄の山口中学校退校に際して国木田独歩(亀吉は幼名)が自署した金蘭簿。大学文書館蔵