北海道大学

歴史ノート
No.9

「都ぞ弥生」のレコード吹き込み

大学文書館 井上高聡

「都ぞ弥生」SPレコードのレーベル。
大学文書館蔵


 1958年の日活映画に「風速40米」(蔵原惟繕監督)という作品がある。主演は当時人気絶頂の石原裕次郎、義妹役のヒロインにはもちろん北原三枝。石原演じる北大工学部建築学科の学生が、父の勤める建築会社の乗っ取り事件に巻き込まれていくというストーリーで、見せ場はお決まりの嵐の中の乱闘劇だった。映画の終わり近くで、石原と北原が、青い空の下、白い洋風テラスで「都ぞ弥生」を歌うシーンがある(ただし場所は湘南)。この映画を見て北大を志した若者も少なくなかったはずである。映画に挿入されるほど、北大寮歌「都ぞ弥生」は戦前から戦後にかけて流布していた。
 おそらくそのきっかけとなったのが、1930年のレコード吹き込みであろう。同年12月に日本コロンビア蓄音器株式会社から北大に寮歌吹き込みの打診があった。協議の結果、恵迪寮の監修の下、文武会(北大生の学友会)音楽部が「都ぞ弥生」と予科桜星会歌「瓔珞みがく」を吹き込むことになった。同月20日に恵迪寮寮務部長大沼正夫(予科3年)が音楽部合唱部員6名を伴って上京し、寮歌の「本調子」を指導して練習を行ない、25日までに吹き込みを終えた。A面にアカペラの「都ぞ弥生」二番まで、B面に伴奏付きの「瓔珞みがく」六節までを納めたSPレコードは翌1931年に発売された。
レコード吹き込みの伝える『北海道帝国大学新聞』記事(1931年1月12日) 吹き込みに立ち合った大沼は、「レコードの廻転時間の関係上「都ぞ弥生」は寮生の歌ふ様な悠長味は出すことが出来なかったが聞きなれゝばあの位のテンポの方がいゝのではあるまいか。「瓔珞みがく」は多少テンポを早くして「都ぞ弥生」との対称を良くした。動もすると寮生予科生ですら出鱈目な歌ひ方をする者もある様だがこのレコードに依って歌ひ方が一定されると幸である」と述べている。

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