北海道大学歴史ノート No11



現在、札幌市東区丘珠から北区篠路にかけた一帯に、タマネギ畑が広がっている。このタマネギ畑は、札幌村(現在の東区元町近辺)からはじまり、一九〇〇年前後に一大生産地を形成するようになった。さらに、タマネギ生産は北海道各地へと広がっていった。
タマネギの本格的生産には、W・S・クラークの後任として札幌農学校の教師となったW・P・ブルックスが一役買っている。ブルックスは一八七七年に着任すると、農学校の農校園(農場)を任され、アメリカから二種類のタマネギを輸入、試作した。 翌年にも五種類を輸入して、北海道の風土に適した農産物であることを示していった。そして、タマネギをはじめとする農校園で輸入・試作した農産物の種子を近隣農村に分配して栽培指導を行ない、 また、北海道における農業振興のために内国勧業博覧会を発案して、農学校からタマネギとその種子を毎年出品し、栽培・収穫方法、調理・保存方法を宣伝した。さらに、タマネギの販路を求めて、横浜・東京への出荷も試みた。 一八八六年の報告書でブルックスは、北海道で最も重要な農産物として、トウモロコシと共にタマネギを挙げ、栽培を開始して十年弱にして広範に栽培されるようになり、地方や北海道外への移出品となっていると述べている。
教え子であった新渡戸稲造はブルックスについて、「学理に至ては、最近の発見などは、到底先生の口より聴聞すること能あたはざりしが、卒業後実地農業に従事せし人の話によれば、当時「ブル」先生の講義は、まことに有益なりしとなり」と述べている。 クラークは在校八ヶ月で生徒たちに強烈な文化的・精神的影響を与えたことでとみに有名であるが、ブルックスは十一年間の在職期間をかけて「実学」を札幌農学校のカリキュラムに定着させていった。
食卓に上ったタマネギを味わいながら、ブルックスの足跡にも思いを馳せよう。

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