クラーク胸像が中央ローンの一角に設置されたのは、北大創基五十周年に当たる1926年のことである。製作依頼を受けた彫刻家田嶼碩朗(たじませきろう 1878〜1946年)は、写真や伝記を参考にし、風貌の似た外国人をモデルとした。後に「苦心に苦心を重ね作り上げたが出来上がって見ると自分としては全く会心の作だと思われた」と回想している。5月14日の除幕式では、クラークに直接教えを受けた佐藤昌介北大総長が、「温厚な容貌、厳格な威容が備わり、生前の先生に接する思いがする」と祝辞を述べた。
以来、クラーク胸像の前では、受験生が立ち止まり、寮生がストームを演じ、対外定期戦に敗れた予科生が泣き伏し、卒業生や来学者が記念撮影をした。クラーク胸像は北大のシンボルとなった。

田嶼碩朗
(山ア貞子氏提供)
ところが、戦時下の金属類徴収令により、1943年5月、クラーク胸像は金属供出のため撤去、熔解された。北大生の喪失感は大きく、撤去直後に学生が胸像を元の位置に戻す事件まで起きた。
戦後間もなく、クラーク胸像再建計画が持ち上がった。像再建は、戦争で喪失したものを取り戻し、新たな時代へと出発することを意味した。当然、再建する像として、田嶼の製作した像が求められた。
しかし田嶼は他界していたため、北大は、彫刻家加藤顕清に田嶼製作像の復元を依頼した。
加藤は、札幌独立キリスト教会が所蔵していた田嶼製作の石膏原型を基に、「あくまでも『田嶼先生のクラーク像』を忠実に復元することに努めた」と回想している。
北大関係者の様々な思いと、加藤の復元協力により田嶼の苦心の結晶であるクラーク胸像は、1948年10月8日に再建除幕された。以来、クラーク胸像は六十年以上にわたり、北大と北大生を見守り続けている。

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