がんばれ北大!

サハラ砂漠徒歩横断,南極点徒歩到達……そして今 北極点を旅する 極地探検家

吉 川 謙 二 さん

1963年5月16日生

87年琉球大学教育学部卒業(同大在学中の84年10月〜85年1月サハラ砂漠縦断),88年本学大学院環境科学研究科修士課程入学,90年博士後期課程入学,92年10月〜93年2月南極点徒歩到達。93年5月総長表彰。97年博士後期課程修了。大学院在学中に数多くの冒険及びそのための調査旅行を続ける。現在はアラスカに在住し,北極圏踏破のための調査を続けている。


アラスカで思うこと

 北大を出てからアラスカに移り住み3ヶ月になる。この前も博士論文等で2年間アラスカ最北端の町バローにいた。アラスカにはまだ,開拓の精神が残っているように思える。ゴールドラッシュ,ホームステッド制が今も続いているからかもしれない。最近の楽しみの一つにフェアバンクスの町中に3件あるスリフトショップを覗くことである。スリフトショップとは,バザーと質屋がいっしょになったようなガラクタ屋で主に着古しの服を売っているが,へんな物も多い。先日はバズーガ砲のようなレーザー光線を発する筒を14ドルで買った。ここで頻繁に取り引きされるのが1980年代のコンピューターである。値段もせいぜい30ドルどまりで結構面白いものが多い。IBM(8088)やアップル(65CO2)といった今でも生き残っている会社からほとんど死滅した会社までいろいろなコンピューターが,いろいろな試行を凝らし販売合戦をしてたことをうかがわせる製品を見ることができる。アップルIIcなど日本へ持っていって売ったら高く売れるだろうなと思ったりして買ってみた。結構プログラムも充実していて,いまでもバージョンアップして残っているようなものもあり面白い。コンピューターの世代交代は誠にすばやいが,それに伴っていろいろな分野の技術革新も加速してきている。極地探検の手法も同様である。極地に人々が多く行くようになった19世紀,彼らの持ち物は船であり,六分儀であった。祖国との連絡は断たれ,ただひたすら目的を実行するのみであった。そして現在,金さえ出せば,衛星通信でどこからでも連絡できるし,位置決定もボタン一つである。つい10年前まで私も六分儀を手放せなかったが1989年にGPSがポータブルになり安くなったので手に入れたのを覚えている。値段は確か30万円ぐらいだったと思う。今ではそれも10分の1ぐらいの大きさになり,2万円ぐらいで買える。衛星電話にはまだ手を出していないが,もう手に入れられる視野にはいってきた。いつか南極やグリーンランドであれこれ失敗しながら,やってきた短波による通信も懐かしくなるかもしれない。北極海のある入り江で越冬しているとき,ふと思ったことがある。暗い雪原でただ春の行動準備をしていた100年前と外の景色は何も変わらないはずなのに船内にはコンピューターはあるし,無線機や短波電話はあるし,まるで大学の研究室を北極海のブリザードの中に持ち込んだようだった。ここではほとんどなんでもできた。今は昔よりもはるかに時間が早く流れている。これは確かなようだ。しかし,今の人が昔の人よりも仕事を多くやれるかというとそんな気がしない。では,この差は,どこに反映されていくのか? アラスカでゆっくり考えてみたい。

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