まことや食堂 ご主人
西 出 誠 幸(にしいで・せいこう)さん
ここ北大界隈には,何十年来,北大生と関わり続けているオッチャンやオバチャン達がたくさんいる。そんな北大生とオッチャン達とのふれあいやエピソードを紹介しよう。
北14条西4。古くは「エルム映画劇」と言う映画館の客と北大病院の見舞客などで栄えた商店街である。そこに,43年間「まことや食堂」を営んでいる西出さんがいる。
西出さんは,石川県の加賀市出身,昭和23年に北海道にやってきた。少し遅れて愛知県名古屋市からやってきた奥さんの嘉寿子さんと知り合い,昭和29年に結婚。「寒さにはまいったね。北海道の住み方を知らなくってね。中からの石炭ストーブだけじゃ,すきま風でぜんぜん暖まらない。おまけに煙突掃除を頻繁にやらないと煙突がすぐ詰まる」当時は仕事も中々見つからず,人に安い賃金で使われるくらいだったらと一決,二人でラーメン屋を始めた。
当初は2,3か月持つかどうかと心配したが,北大の学生や病院の見舞客,映画館のナイトショー帰りの客がよく来てくれた。一番流行ったのは開店翌年の暑い夏。当時としては珍しい冷蔵庫(木製で氷で冷やすもの)を購入,ラーメンよりもかき氷を食べに来る客で店はてんやわんや。まだ若い盛りの西出さんは,映画館に対抗して「腰が抜けるほどうまい腰抜けラーメン」などと看板広告を立てたり,いろいろなアイデアを出し,宣伝したそうだ。(当時は羞恥心がなかっただけとの本人談)
ラーメンの名前を客が付けた事もある。北大の某教授が付けたと言う「ごみラーメン」。種明かしはと言うと当時は余りの急がしさに「野菜いため」と「ラーメン」を同じナベで作っていたそうで,某教授がホロ酔い気分で行く頃には,もうすっかりナベの縁に野菜が焦げつき,ラーメンをどんぶりに空けるとその上に焦げた野菜が散らばる…格別らしい。
チンピラに店を潰されそうになった事もあるなど,いい思い出ばかりじゃないけれど,これまで長くやってこれたのは,お客さんに支えられたからだと言う。「北大生? 知能指数の高い子だかりだもん,良い子ばかりだよ。60年安保の頃は学生もバイタリティがあったな。その点じゃ,今の学生は無気力だな。」今もバイタリティある昔の常連客が偉くなってひょっこり現れ,学生と相席で談笑していくそうだ。
開店当初は,学生は兄弟みたいなものだった。それがラーメン屋から定食屋に衣替えしてしばらくすると,親子みたいなものになり,今じゃ爺と孫の関係に…?「段々と話しが合わなくなるね。」「店も当初からほとんど変わっていないし,老夫婦二人がボロ屋で店をやっていたら,この頃は学生さんが哀れんで来てくれるようで…」と奥さん。
一度来ると,昔ながらのたたずまいと西出さんにはまってしまうと言われる。故郷から遠く離れて北海道にやってきた学生の中には,そこに家族みたいな雰囲気を感じるのかもしれない。「そろそろ店を畳まないとと思いながら,若い人といっしょだと若さが貰えるような気がしてねぇ」と二人の暖かい笑顔がそこにあった。
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