成層圏の気象

−学士院賞を受賞して−


松 野 太 郎

 この度,平成9年度日本学士院賞を受賞する事になりました。対象となった業績は,「中間圏・成層圏大気力学の解明」です。この馴染みのない専門語で表された研究の内容がどんなものか説明してみたいと思います。
 大気は,高度10〜15kmを境にして,上は成層圏,下は対流圏と分かれています。雲が生じ雨や雪の降る(極端に言えば「天気」がある)のは対流圏で,成層圏が常に晴天の世界である事はジェット機に乗ればすぐわかるでしょう。私の研究対象は,この成層圏,さらに上層(50〜80km)の中間圏の気象です。
 成層圏以上の大気の観測が盛んになったのは,1950年代後半で,それは,ジェット旅客機の就航とロケット・人工衛星による宇宙探査の始まりが刺激になっています。その結果,成層圏・中間圏には対流圏の気象の常識と外れた奇妙な現象がある事が次々とわかったのです。第一は「成層圏突然昇温」で,真冬の高緯度地域で,成層圏の気温が数日のうちに40℃も上昇し,真冬から一挙に真夏の最高気温を凌ぐほどの高さになるのです。(図参照)この現象は早く1952年にベルリン大学のシェルハーク博士によって発見されましたが,当時は観測点が少ないため全体像がわからず,太陽面での爆発(フレア)の影響とか電離層の磁気嵐と関係があるのではないかと想像されました。対流圏の常識で考えた「気象」としては余りにエキゾチックだったのです。その後,広範囲のラジオゾンデ観測のデータが得られるようになり,北半球全体の成層圏大気の大変動である事がわかりました。冬の間,高緯度は低温となり,熱帯との間の温度差に応じて強い西風のジェットが極をめぐって吹いています。これを周極渦と呼んでいますが,ある時この渦が大きく変形し,遂には崩壊して,一時的に西風は消滅し,弱い東風の吹く逆向きの渦にさえなるのです。これに応じて一時的に北極付近の気温が熱帯よりも高くなり南北の気温傾度が逆転します。

グラフ

人工衛星から測った80°Nおよび80°Sにおける土部成層圏(35〜55km)の気層の平均気温の年変化。1971年と72年の分が重ねて記入してある。南半球では突然昇温がみられない。


 1960年頃までに,このような実態は明らかになりましたが,その発現機構は,色々な試みにも拘らず長く不明のままでした。私は,成層圏・中間圏大気の力学を研究の中心に据えていた九大・理学部の大気物理研究室に1966年に移ったのを機会に,この問題に取り組みました。そして1968年から70年まで,アメリカのワシントン大学とプリンストン大学に各1年滞在した機会に問題を煮詰め,一応の解決にこぎつけることができました。難問だっただけに,こみ入った仕組みですが,簡略化すれば次のようなものです。成層圏の周極渦は,対流圏で地形や海陸の温度差で作られた地球規模の気圧の波,プラネタリー波の影響を受けて変形していますが,この波は同時に西風を弱める作用を持っています。対流圏で山岳に吹きつける西風が受けた抵抗力が上に順送りに伝えられ,密度の小さい成層圏上部では,時に西風を完全につぶし東風に逆転させる程になるのです。この時,地球自転に伴うコリオリ力とのバランスが崩れ,極の方に集まった空気が下降して断熱圧縮を受け高温になる,というわけです。この一連のプロセスを含み,最小限に簡略化した大気力学の方程式をコンピューターを用いて数値的に解いて,実際現象が説明できることを示せました。
 もう一つの重要な研究は,赤道域の大規模な大気波動に関するもので,1962年に発見された赤道域の成層圏で平均風が東風,西風とほぼ1年ごとに変わる「準2年周期振動」の機構を解明する基礎となりました。この研究は,1966年に東大助手の時代に博士論文としてまとめたものです。北半球では低気圧は反時計まわりの渦,高気圧は時計まわりの渦となっていることはよく知られています。これは,地球自転のコリオリ力と気圧傾向とのバランスの結果で,水平面で見た自転が逆向きになる南半球では,関係は逆転します。では,その間に挟まれ,コリオリ力がゼロになる赤道とその近くではどのような運動形態があるのでしょうか?驚くべきことに,このような基本的問題に,その頃まで誰も手をつけていなかったのです。正確にはラプラスから始まる地球大気全体の自由振動の理論の中に,特殊な形で含まれていたのですが,局所的な問題としての一般理論がなかったのです。準2年周期振動の事を念頭におき,また,その少し前に海洋学でホットな話題であった赤道潜流,そしてモンスーンに特有の西風(共通項は赤道上の西風)への興味から,この忘れ去られていた問題に手をつけました。意外な事に,この問題は数学的にきれいに解け,赤道上で気圧と風の関係が南北両半球のどちらにも矛盾しないような特殊な形の振動,赤道沿いに東向きに伝わる赤道ケルビン波と西向きに伝わる混合ロスビー重力波という運動形態がある事がわかりました。これらの波動は,その直後に東大の先輩の柳井博士(現UCLA教授)とワシントン大のウォーレス博士によって赤道域の成層圏中に発見されました。そのデータは,準2年周期振動の発見をもたらしたと同じもので,1950年代アメリカの水爆実験の際に,死の灰の追跡のため行われた赤道太平洋域の特別観測の結果です。そのデータ集は,東大を含め世界中の気象研究所に無造作に積まれていたものです。
 大気と海洋の運動は全く同じですから,この理論は海の現象にもあてはまります。理論的に予測された赤道ケルビン波は太平洋でも見つかり,異常気象の原因として今では広く知られるようになったエルニーニョ現象の発現に深くかかわっています。赤道波動の問題は,同じ頃,世界中の大気と海洋の研究者によって同時に研究されましたが,2つの特殊な波動の解を両方とも正しく求めたのは私だけでした。そのポイントは,式変形の途中で知らずに分母をゼロにしない事と微分方程式の解の完全性を間違いなく確認する事でした。この理論が今ではエルニーニョを理解する基盤となっていますし,先の図から読みとれるように,成層圏突然昇温が北半球でしか起こらず南半球でない事がフロンによるオゾン層破壊が南極上空でのみ著しい原因となっています。異常気象の予測や地球環境変化への対処が大きな問題となっていますが,それを支える科学は好奇心による基礎研究である事を実体験を通して強く感じています。

(まつの たろう,大学院地球環境科学研究科教授)

松野 太郎氏

1966年九州大学理学部助教授,1971年東京大学理学部助教授,1984年同大教授,1991年東京大学気候システム研究センター設立とともにセンター長となる。1994年から北海道大学教授に。

松野教授から一言 「北大の雪と氷の研究は,大学院生時代から気象学仲間として興味を持ち尊敬していました。北大に移って,それに関係する研究を始め,面白い結果が出てきてとてもうれしく思っています。
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