「おはよう北海道」の顔 NHK札幌放送局 石 井 庸 子さん |
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学生時代
一度早大・法学部に入学したもののマスプロと東京暮らしに魅力が感じられず一年で中退。出身地の北大に入学。法学部に移行するつもりが,教養部(今はありませんが)時代に出会った先生に感化され文学部へ(「国語学」には泣きました)。しかし学風・環境・友人いずれも「大学を選び直して本当に良かった」と思える事ばかりでした。
当時流行っていた「路上観察学」(赤瀬川原平氏や南伸坊氏の)に刺激され,仲間と「北大・路上探索会」なるものを結成し,全員カメラ片手に街角の面白い物・妙な物探しによく出掛けたものでした。
社会人になってから
何のイロハも知らずTV局のアナウンサーに。発声も発音も習った事はありません。スタジオで天気予報を決まった秒数内に収めるのに冷や汗・油汗。生中継の最中にコメントをド忘れ,頭は真っ白。失敗を挙げればキリがありません。アナウンサーというと,スタジオでニュースを読むモノと思う人も多いと思いますが,実際には(NHKでは)災害などの緊急時には現地に出向き取材してリポートをしたり,番組を企画・構成したり,様々です。
毎週1回の生中継のネタを探し情報をあさり,街を歩き回り,ネタが見つかったら現地の電波の状況を確認。東京では高層ビルが林立していて,電波を直接NHKのアンテナに飛ばせず,電波の中継ポイントを探し求めて何カ所も頼み込みビルの屋上に登らせてもらい,さァ期待を待って双眼鏡をのぞいて見るも,新築の別のビルが視界をさえぎり我が社のアンテナは見えず,がっくり肩を落としては又別のビルを探す,そんな日々も続きました。放送前日までネタが決まらず胃のシクシクする時もしばしば。(そんな時は逆に本番時には肩の力が抜けていて結果良かったりするものですが……)
その他,仕事で香港やタイ・韓国,中国等に行く機会にも恵まれました。「マイペンライ(何とかなるサ等の意)と小さな事など意に介さぬというタイの人々の大らかな笑顔。活気と生気に溢れすべてがハイスピードの香港。中国の西,新彊ウイグル自治区では,街の中心部に建つ高層ビルとは対照的に郊外に広がる土ぼこりの道。貧しい土地を政府を信じ耕やし続ける人々。日本を振り返り,日本の豊かさを実感しつつも,木の荷車に果物を積みロバでひくお父さんと荷車の果物の横で片肘ついて居眠りしているお母さん,市場のスイカの間で鼻水たらしながら顔を真っ黒にして“かくれんぼ”している子供達,道端の草原で輪になって世間話を楽しむ老人達……時間に追われる仕事をしているせいか,我々が失くしつつある何かを見たような気がしました。
後輩の皆さんへ
“マイペースで物を考えられる”,それが北大の校風の良さだと思っています。是非,自分の尺度を持って,自分の納得のいく人生を作っていってください。