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ボルネオの自然と煙害
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インドネシアは東西4,500kmに及ぶ島嶼国で国土の面積は日本の5倍の190万平方メートルに及ぶ。かつてはこの国土の大半を覆っていた原生の熱帯林も,伐採されたとはいえまだ100万平方メートルを越えている。このインドネシアで昨年の夏以来,森林火災がニュースを賑わせている。煙害はスマトラからジャワ,ボルネオまで,そして近隣のマレーシア,シンガポールそしてタイにまで及んだ。学校の休校や観光客の激減など記憶に新しいが,今年に入ってからもまた火災が問題になりはじめた。森林火災は主にスマトラやボルネオでアブラヤシの栽培のため火入れを行うことに起因している。それ以外にも伝統的な農耕を行うための小規模な火入れはしばしば行われてきていた。それでは何故,昨年大きな問題になったのであろうか?
インドネシアの降水は,その大半が11月から翌年3月までの雨季に集中する。熱帯太平洋では東側のペルー沖に比べて西側にあたるインドネシア付近で海水温が高く,雨雲が発生しやすい。ところが昨年は逆にペルー沖の海水面温度の上昇が著しく,この地域での降水量が多い代わりにインドネシアでは極めて雨が少なく,乾季はからからであった。数年毎に起こるエルニーニョ現象である。最近では1982年から83にかけて,1987年,1992年,そして1994年にこの現象がみられている。エルニーニョはスペイン語で神の子という意味で,もともと南米のクリスマスの時期に見られる海水温度上昇にちなんでつけられた。そのためエルニーニョ現象は2年にまたがって起こることが多い。エルニーニョ現象については16世紀から記録をたどることができるが,アジア地域の気候変動に関連づけられるようになったのは,意外と最近のようである。1982年から1983年にかけての18ケ月に及ぶ干ばつでは,ボルネオ島の東カリマンタンでは約3万平方キロメートルの土地が干ばつまたは火災により破壊されたといわれている。森林を伐採した後に火入れが行われるので,火は伐採後や取り付け道路沿いに延焼を進めるらしい。
私とインドネシアとの係わりは,昨年北大に転任してからである。ちょうど北大では,日本学術振興会の事業として,インドネシア科学院との間で10年計画の拠点大学形式湿地生態系研究プロジェクトを開始したところであった。それまでは,湖や泥炭地の調査をしてきた私にとっても,泥炭湿地林は新しい魅力ある生態系であった。そして1997年8月に,両国の研究者が交流するワークショップが,ボルネオ島の中央カリマンタン州都のパランカラヤで開催されることとなった。
しかしボルネオ島南部は煙霧が停滞していたため,ジャカルタからの飛行機は海岸に近い南カリマンタンのバンジャルマシンに向かい,そこで煙の状況をみてパランカラヤに向かった。飛行中は煙でまったく地上は見えなかったが,飛行機は低下を開始し煙霧の下に潜りのんだ,空港に降りたってみると視界は1キロメートルもない,頭上にはオレンジ色の太陽が煙霧にかすんで見えた。
写真1 煙にかすむ中央カリマンタンの林道(1997年8月)
写真2 百万ヘクタール開発地域のはずれの水路(1997年12月)。火災で水路両岸は燃えきった。水面には緑色の藻類が浮かんでいる。
写真3 火災の後の林縁部,泥炭土壌から浸出する水は有機物が溶けこみ濃いコーヒー色を呈する。
ワークショップでは森林生態系,水文,河川・湖沼生態系,農業土地利用などについて発表が行われた。会議と並行して,泥炭湿地林の予備調査やエクスカーションが行われた。森林生態系グループはパランカラヤよりも奥地に調査区を設定したが,現地に向かう林道は煙に覆われていた(写真1)。パランカラヤは広大な泥炭湿地林地帯を流れるカハヤン川の中流部を開発・整備して作られた。下流域では百万ヘクタール開発計画が進められ,まっすぐの水路が掘削されている(写真2)。その両岸には火が入れられ,潅木や泥炭表層がくすぶっていた。泥炭地の水は分解されにくい有機物を含んでいるが栄養物質には乏しい(写真3)。しかし火災とその後の降水は,多量の栄養物質が水系に流れ込むのではないかと考えられる。パランカラヤ滞在中に視界は悪くなる一方で,飛行場は閉鎖状態になり,帰途は陸路でたどり着いたバンジャルマシンから飛びたった。海岸線から内陸側を眺めると,いたるところから煙が立ち昇っているのがよく見えた。
その後の3ケ月は,冒頭で紹介したとおり煙害のニュースが日本にも伝わってきたが,パランカラヤ大学のメンバーは深刻な煙害に悩まされ,消火活動に忙殺されていたそうである。森林火災・煙害がボルネオ生態系へもたらす,直接的,間接的な影響についての研究を組みこむ必要性を私たちは痛感した。1998年2月に環境庁との共催で北大で開催した「ボルネオの長期生態研究」ではマレーシア,ブルネイ等の研究者も招待し,森林火災も大きなテーマとしてとりあげられた。ボルネオでの調査・研究はこれから新しい展開を見せることであろう。
(いわくま としお,地球環境科学研究科教授)