今年はモンゴルに行きたいんです(左:嵯峨君)
喉歌(のどうた
throat-singing)は,一人の人間が楽器も使わずに,複数の音声を同時に発する特殊な歌い方のことである。喉歌の演唱を聞くと,「うぃ〜」という一定の声のほかに,「ピー」という笛〜電子音を彷彿させる澄んだ高周波の音が同時に耳に届く。そしてその高い音は一定の声とは独立に音程を変え,美しくメロディを奏でる。
この超絶技巧的な歌い方は,主にアジア中央部のアルタイ山脈〜サヤン山脈周辺の諸民族により古くから歌い継がれている。「ホーミー」は西モンゴルに伝わる伝統的な喉歌だが,ほかにもモンゴルの北隣りトゥバ共和国の「ホーメイ」や,その北のハカス共和国の「ハイ」など,アジア中央部には民族の思想・曲想を反映したバリエーション豊かな喉歌文化が広がっている。
私が初めて耳にした喉歌は,あるCDに納められているトゥバ共和国の民謡だった。耳から入ってきたホーメイの響きは想像をはるかに超えていた。喉を詰めて発する「だみ声」の通奏低音の上を,澄んだ音が軽やかに踊りトゥバの伝統的メロディを奏でていた。音そのもの,現象そのものの持つインパクトがあまりにも強かったせいか,この時は音楽的な「美」だとかいわゆる「異国情緒」だとかはあまり感じられず,むしろ何かこわいものを聞いてしまったような印象を受けた。人間技ではないと思った。しかし数日後,友人と一緒にそのCDを聞きながら声の真似をしたら,メロディのコントロールはできなかったものの,互いに「ピー」という「二つの音」が意外にもあっさりと確認できた。この時の感動は今でも忘れられない。自分の身体にこのような「機能」が備わっていようとは! 長い進化の果てに音声コミュニケーションを獲得した人類の「喉」を,全く別の発想で利用して純音を発声するのだ。始祖鳥のような気分だった。
翌日から毎晩北大農場で練習を始めた。二つ目の音は少しずつ明瞭りょうさを増し,選択できる倍音の種類も増えていった。そのうち口笛のように好きな旋律を喉歌で奏でられるようになり,喉歌は自分の日常にとけ込んでいった。それと同時に,アジア中央部に伝わる伝統音楽の「美」がより身近に感じられるようになっていった。トゥバのビートの効いた恋歌,ハカスの雄大な英雄叙事詩,そしてモンゴル民謡の朗々とした旋律など,それぞれの民族が誇りを持って伝承してきた美の世界が一気に前に広がっていった。
西洋近代音楽では,声にしても楽器の音色にしても,ノイズの少ない音が追求されてきた。(明治以来,日本の「音楽教育」でもそうだ。)しかし,アジア中央部では,伝統的喉歌を特徴づけるだみ声やモリンホール(馬頭琴)の乾いた響きなど,「ノイズ」と共存した美を見出す価値観が受け継がれてきた。実はアジア中央部だけでなく,世界のほとんどの地域では,音楽とノイズが密接に結びついている。日本でも浪曲のだみ声や三味線の触りなど,「ノイズ」がないと成立し得ない美意識がある。
ひとたび喉歌に惚れ込んだ私の耳には,母国の伝統音楽の「美」もやっと身近に感じられてきた。
(さが はるひこ,理学研究科博士後期課程3年)