がんばれ北大!

麻薬取締官として活躍

上 田 達 生 さん

※職務の都合上,顔は明らかにできません。

(うえだ たつお) 1964年東京生まれ。88年北海道大学薬学部薬学科卒業。同年,厚生省北海道地区麻薬取締官事務所に採用となり,麻薬取締官として薬物犯罪の捜査に従事。その後,厚生省薬務局麻薬課国際担当を経て,95年よりウィーンにある国連薬物統制計画(UNDCP)に出向し,国連の覚せい剤対策プロジェクトに参加。97年に帰国し,現在は厚生省関東信越地区麻薬取締官事務所国際情報官室に勤務。麻薬に関する国際会議への対応や,海外の麻薬問題の情報収集,分析等を担当している。


 どうしても北大に入りたかった。だが北大で学びたいことがあったわけでも,卒業後のプランが特にあったわけでもない。ただとにかく,どうしても「北大生」になりたかったのだ。理由は簡単。「クラーク」「ポプラ並木」「都ぞ弥生」の3点セット。これが,高校生の私の心を射抜いたのだ。自分が青春を送るキャンパスは北大以外にない,北大にさえ行けば,「大志を抱いた」「おおらかで」「バンカラな」人間になれるのだ,と理由もなく信じていた。
 3回目の受験でやっと北大に合格し,私は念願の「北大生」になった。同級生の中には,「自宅に一番近いから」という理由で北大に入学してきた者もいたが,私にはそんな連中が許せなかった。北大に入学する以上,少なくとも “Boys, be ambitious!” という言葉に,感銘を受けていて欲しかった。さらに私の失望は,大学自体にも向けられた。予備校の過保護な講義に慣れていた私は,無味乾燥な教養の講義に落胆した。あれほどまでの北大への期待は,入学後あっさり裏切られたのだった。しかし私自身は,ひとり「北大生的」であることを目指し,講義にはほとんど出席せず,友人と語り合い,入ったその年には全学新入生歓迎実行委員会委員長をやり,お約束通り1年目からドッペった。ただそのことも,私にとっては「北大生的」であるひとつの証拠であり,自分が留年したことをむしろ誇りにすら感じたほどだった。
 その一方で,私は自分の勘違いに少しずつ気付いていく。自分自身,入学後なにひとつ変わっていなかった。北大に入れば自動的に「大志を抱いた」「おおらかで」「バンカラな」人間になれるという保証など,どこにもなかったのだ。そもそも,そのような人間になれるかどうかは自分次第であり,大学名どころか学歴すら無関係なことだった。そして「クラーク」「ポプラ」「都ぞ弥生」の3点セットが,大学の志望理由としていかに安直な動機であったかを知り,私は青ざめた。
 当時は教養での成績上位の者から順に学部を選ぶ制度だった。入学前は農学部志望だったものの,それも単なる札幌農学校のイメージに基づく陳腐なもので,農学部に進む意欲も失せていた。それどころか,そもそも自分が何のために北大に来たのか,何を学びに来たのか,そして卒業後どうするのか,そこから考え直す必要に迫られた。
 私は限られた選択肢の中から薬学部を選び,現在の仕事を目指すことにした。研究者や薬局勤めは自分の性に合わないから,というこれも安直な理由だったかもしれない。ただ違っていたのは,なるまでが問題なのではなくて,なってからが本当の勝負だという事に気が付いていたことか。たとえどんな職に就こうとも,就職してからの努力や継続した熱意こそが,これからの自分に必要なものだと覚悟した。
 なりたての頃は片っ端から逮捕すればよいのだろうと考えていたが,最近,問題の複雑さと奥深さがわかってきた。北大に来ていなければ,現在の仕事に就くこともなかったわけで,私の場合,大学の選択と職業の選択は今のところまさに結果オーライと言えようか。

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