ここ北大界隈には,何十年来,北大生と関わり続けているオッチャンやオバチャン達がたくさんいる。そんな北大生とオッチャン達とのふれあいやエピソードを紹介しよう。
子供の頃,母親やばあちゃんに小遣いを貰い,走ってお菓子を買いに行った小さな店屋さん。今ではそんな店も消え,全国チェーンの青やオレンジなど色とりどりのコンビニ店がそこかしこにある。店内は系列店すべてほぼ同じ陳列で,慣れてしまえばどこに行っても買物に迷う事なく,深夜まで或いは24時間開いている。それなりに便利で都合もいいが,何故かデカい自動販売機の中に入っているような気分になる。最近の自販機は「ありがとうございました」と声を出す。コンビニでも「ありがとうございました。また,どうぞ」と機械的な声が背中に響く。バイト学生は,マニュアルを忠実に守り,それなりに一生懸命頑張っているのだろうと励ます気にもなるのだが,界隈にあるオレンジ店のパート主婦たちは,ぺちゃくちゃオバチャン同志でしゃべりまくる。息子や娘にそのうえ夫,主婦の悩みは尽きないのだろうけどレジをたたきながらも収まらず「367円です」の声に顔は横向いたまま。ありがとう“あ”の字もない。壊れた自販機をたたきたくなるような心境になる。
前説が長くなったが,そんなコンビニ転身の誘いを断わり続け,一人で頑張っているのが北16条西4で酒店(果物や野菜も売っている)を営む「浅川商店」の店主沢口博さん(77歳)。沢口さんは夜間中学を卒業後に上京し,厚生省に勤めつつ,夜間大学に進んだ努力家だ。ところが間もなく大病を患い,闘病後に札幌に戻ることに。当初は北大病院前で食料品店をやっていたが,近所の浅川商店の店主が後継者もなく店を閉じるのを聞きつけ,権利を譲り受けた。先代の屋号を受け継ぎ守ること26年,食料品店からだと実に49年エルム街で頑張っている。現在も店で使用中のレジスターとは40数年もいっしょだ。「アメリカ製でしてね。当時で478,000円しました。その頃,店と土地で150,000円でしたよ。おそらく札幌駅以北では初めてでしたね」当時はまだ,かごを長いゴムひもにぶら下げてお金を入れていた時代で,売買の証拠に残るものがなく,税務署からの徴収もほとんど一方的な申渡しだったそう。
昔も今も北大生は「いいお客さん」だ。昔のお客さんが「まだやってるんですねえ」と寄ってくれる。最近は留学生と思われる外国人も随分増えた。お客さんへの第一声は「おはようございます」。長い付き合いという老人がわざわざイチゴを買いに寄ってくれた。間もなく,今度は外国人女性。「暖かくなりましたけど,風邪をひかないようにしてくださいね」「ウーン,マダサムイデスヨ」「外国人も流ちょうな敬語を使うからぞんざいな事はできないですねえ」。ほとんどのお客さんと丁寧に言葉を交わすのが印象的。
沢口さんには,後継者がいない。先代と同じような境遇になった訳だが,「コンビニ? 自由気ままにできないから,私には自信がないんですよ」。明日の事は分からない大変な時代だけれど,毎日市場に通い,良いものを見つけ,お客さんに提供する事が自分の性に合っているという。
「役所はいやいやでも勤める事ができるけど,商売はそうはいかないですよ」と大事そうに手回し式レジスターに触れる。最新のレジスターが98,000円で買えるのに,年間134,000円の保守料を払ってまで商売を共にしている。「私の寿命より長く持ちますよ」と沢口さんが微笑んだ。
買い込んだ缶ビール2本をぶら下げて帰路につく。何だか今夜のビールはうまそうだ。
(夢 一夜)