エルム街の偉人たち

 

マル亀湯 店主

竹 本 昌 司 (たけもと・まさし)さん

 ここ北大界隈には,何十年来,北大生と関わり続けているオッチャンやオバチャン達がたくさんいる。そんな北大生とオッチャン達とのふれあいやエピソードを紹介しよう。


 昔話になるが,子どもの頃は家族三代で良く銭湯に出かけた。風呂上がりには「フルーツ牛乳」。歩いて家路につくまでがまた楽しかった。三日月の見える夜は,ばあちゃんにおぶさりながら月に向かって「バナナ!」と叫んだ。シバレル冬には,みんなの洗髪した髪の毛がバリバリに。「じいちゃんはどうしてバリバリじゃないの……?」じいちゃんには髪の毛がなかった……。ただただ冷たかった。微笑ましい思い出はいつまでも心に焼きついているものだ。

 そんな楽しい銭湯通いも内風呂ができたおかげでなくなった。多くの家庭がみなそうなり,街から銭湯が消えていった。ご近所との「ハダカの付き合い」がなくなると,社会生活もうまくいかなくなる。「隣の家の雪が家の庭先に棄てられた」と交番に通報される時代になる。

 ここエルム街は,段々と少なくなりつつも昔ながらの銭湯が今も頑張っている。北16西4にあるマル亀湯は,明治33年に近郊で創業,大正11年に現在地に移転した。ご主人の竹本さんは4代目。屋号の「マル亀」は初代の竹本亀次さんの名からとったもの。

 昔は,この界隈に下宿がたくさんあり,学生が大勢来てくれた。「下宿から適当に履いてきたゲタと他の客のゲタとの区別が付かず,良く混乱してカミさんに怒られていたよ。足駄(アシダ)という高ゲタを履いてくる応援団風の学生は間違える事はなかったな」(笑)力余る盛りの若者は,木桶を腕だめしに「空手の達人」と化し,いくつか壊された事もたまにはあったが,学生は大方まじめ。それが,近代に入り,「公衆の場」であるという認識を忘れ,モラルに欠けた学生が増えてきた。体育系の泥だらけの集団が洗い場で泥も落とさず,浴槽に「ドボン」と入った時には,さすがの竹本さんも怒った。

 「番台」というと憧れをもつ世のオジサン達も多いが,そんな見られ方に対して竹本さんはしっかりとした職業意識をもって仕事をする。実際に大変な仕事だ。狭い番台に何時間もじっとしていれば,たちまち腰を痛める。それにも増して,窯炊きは腰も痛めるものの,相当の熱が全身を襲い,体毛が焦げ,皮膚がやけどのような状態になるという。「長年の職業病だな」(笑)疲れが出ると竹本さんは一粒の梅干と一杯のワンカップで気合を入れ直し,窯に立ち向かうのだとか。

 そんな竹本さんと長年連れ添ってきた奥さんが入院中のため,マル亀湯は現在休業中。「地域の情報交換の場」として愛用してきた常連客が心配して立ち寄ってくれる。「自分の都合で休むのが一番辛いな」

 竹本さんは,長年,組合の支部長などを勤めたため,周りの銭湯の事も心配する。「どこの銭湯もほとんど地下水を利用していて,ミネラルを多く含んでいるから,家庭の水道水と違って良く温まるんだ」組合発行の共通利用券(回数券)を利用すると,格安で市内の銭湯巡りができる。時代の流れに遅れまいと忙しい学生にとって,昔の風情を感じるのもリフレッシュの一方法では。

 子どもの頃から手伝っていたというから,この道60数年を超える竹本さん。「ただ,地域の方に健康・衛生面でいくらか協力できたかな。そのぐらいだよ」特別な感慨はないというが,マル亀湯はあと2年で創業100周年を迎える。

(夢 一夜)

 

「皆がうらやむほど甘いもんじゃないよ」と竹本さん 

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