明日は明日の風が吹く!!
歯学博士 小野木 正 章
プロフィール
(おのき まさあき)総長佐藤昌介没後9年,1948年 岩手生,久慈市,二戸市,盛岡市と高校まで修了し,1968年 札幌市民となる。1974年 歯学部卒業。4月から北海道大学助手。1986年講師退職。北区新琴似一条で歯科小野木医院を開業。総義歯臨床に励む。
現,札幌歯科医師会理事,保健診療報酬審査員。主に歯科医師と患者との診療上のトラブルの仲裁役。行政を含め,各方面の関係者にお世話になっている。
1.学生時代の思い出
私の時代には、教養課程二年間,専門課程四年間の学生生活でした。思い起こせば,1968年10月10日5cmの積雪。やはり北国は違うな!!その次の年は札幌市内の交通機関が二度早朝から止まり,私は積雪60cmの中を雪をこぎながら通いました。
年間60日もスキーができる札幌は,最高の楽園でした。11月最後の土曜,日曜の手稲山から始まり,6月下旬の定山渓奥の無意根山まで,満喫できました。
教養課程
教養2年間は体育の時間があり,約百時間参加した記憶があります。教官にもう参加しなくていいと言われたような気もします。後日,今の仕事にしっかり役立っています。日頃の仕事は,体力が優先しますから。
とてもおおらかで,のどかな教養2年間。二年生の前半は学園紛争で講義もなく,同級生15名と定山渓奥の無意根山へ登山を二泊三日で計画実行。登山嫌いな私が,なぜか,その後,14年間も毎年登り続けることになるとは。それはスキーができるだけの理由ではなく〈大自然の中に生きる〉という感じを思い起こせたからでしょうか。6月中旬の札幌はいい季節です。
無意根山の〈電光坂〉を登ると心臓が飛び出そうになる感じがいいようです。その年の体力測定をしている感じでしたから。薪ストーブのある山小屋,無意根山は学生の良き研修の場でした。新築の折りには是非寄付をしたいものです。
専門課程
医学的基礎知識の面白さと,一時代前の歯学の臨床の知識のギャップは大きかった。これをなんとか私が埋めてやろうと考えたのが,つい昨日のようです。アッという間の4年間で,ところてん式に卒業させられたという感じでした。その後大学院に残るはずが,助手として研究室に残ることが決まりました。折しも田中角栄が,小学校の教諭の給料を大幅にあげた時期でしたので,4年の大学院を修了した講師の初任給と同額だったのを記憶しています。
また4年生の秋に同級生のほぼ全員が,再追試験を免れるよう教授全員に密かに手を回し,同級生の運転するバス(大型免許あり)で,洞爺湖温泉へ一泊旅行(卒業旅行)して来ました。無事帰札後,おみやげを教授に渡して,事のてん末がばれ,文句の一つも言われたかどうか。そして無事卒業して,国家試験にも全員合格しました。
2.後輩へのメッセージ
緻密に練り上げた人生の計画も,簡単に壊れる時代です。けっして他人任せにしないように。自分の足で自分の道をしっかり歩んでください。企業に頼っても裏切られる昨今です。北海道の自然を相手にするように,自然に従わなければ暮らせない程大きいものが,世の中にはあるのですから。
日は沈んで,また日は昇る。人生いたる所に青山あり。
3.近 況
大学での講義中,歯が全部抜けた人の口の中に,入れ歯を入れる処置がありますが,その土台となる歯ぐきの部分の組織像を教えていて,実際に入れ歯を作ってみたくなり,大学を退職しました。入学以来19年目にして社会へ出て,〈無口蓋義歯〉といわれる入れ歯を実践し,多くの患者さんの支持を得ています。
一人で20年間に診療できる患者の数は知れています。でもその礎は,学生への講義にあった事は幸運でした。この蓄積を,今学生に返したい気持ちです。
第24回北大同窓ゴルフ大会にて歯学部同窓生と(左端:筆者)
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