特集 今,北大生となって思うこと      
悠々たる学生生活を求めて
山 野 秀 尚

  北大生になって3カ月が経った。入学前に抱いていたイメージ‘北の大自然の中での悠々とした学生生活’は文字通り絵に描いたモチだった様だ。毎日が家と学校との往復で大自然に触れたのは,ゴールデンウィークにクラスの仲間達と行った支笏湖ぐらい,悠々とした学生生活にしても,悠々としている時は,1限目の授業を‘寝つぼる’と決断する時ぐらい。とまあ,散々とした学生生活になってしまっている。
  北大に対して抱いていた‘雄大な’イメージも入学前の前夜祭を期に吹っとんでしまった。そこには寒々とした空気が流れ,在校生の一部オタク的人達が入学を祝おうと空回りしているとしか見えなかった。知るも知らぬも我が41組,この3カ月間,数々の行事に参加し,そして制してきた。オリエンテーリング1位,レガッタ2位,仮装1位,ドッヂボール3位……楡稜祭で大きなステージを持つ餃子屋を出したのもうちのクラスだ。クラスとして,これらの結果には大きな満足と達成感を覚えるが,やっぱり1つ引っ掛かることは,これら全てがクラスの中だけのうちわの盛り上がりに終始したこと,そんな僕等を冷めた目で見ていた人達が少なからずいただろうということである(羨望の眼というのも当然あるとは思うが……)。北大生の行動(少なくとも北大の行事)は,そんな個人個人が小さなグループをつくって勝手に盛り上がるだけのものでしかない様に思える。そんな北大は決して雄大には見えない。時代のうつろいというのだろうか,クラーク先生,大自然,楡……そんな言葉が心に空しく響く。
  楡稜祭が終わって,クラスの雰囲気も少し変わり始めた。落ちついたというか,ようやく熱病から冷めたというか,各自が自分自身の生き方を始めたようにも見える。但し,僕自身は余り変わらなかったようである。あい変わらず体のどこかに熱を持ったまま,それでもその発散場所が見つからないままフラフラとしていた。体育会でバレーをやろうと思ってはいても,それに没頭できずにいたり,授業,これについてはやる気はもともと無かったのだが,やはり大した成果は今のところ出ていない。友達も少しずつ減ってきている(一緒に遊ぶ奴が)。すべてにおいて中途半端な状態が今なのだろう。
  北大の授業に対しても毒を吐きまくりたくなってしまう。第1に何を伝えたくて授業をしているのか全くわからないものが多すぎるということ。教師が1人,自分の世界でしゃべりまくる(時にはそれが猟奇的に見える事すらあるが)というのではなく,授業の内容が,その学問の中で今後どの様な広がりをみせるか想像できる余地が無いということを言いたいのである。1を聞いて10を知るというのは虫が良いのかもしれない。それでも何かしらのイメージ(たぶんこれはその分野に対するロマンとも言えるのだろうが)すら伝えられない教師が多く,そんな授業に何ら疑問を抱かず,ひたすら出席と与えられるレポートとテストの点に注目しているのが学生の実態の様だ。どちらもひどく疲れている印象を与える。3カ月たってもなお,各授業で得たものが見えてこない。
  最近になって僕の中に変化が生じた。その答えを探そうとし始めたのだ。唯一ロマンを感じた微分の課題に必死に取り組もうとしていること,夏休みに1カ月弱農家でアルバイトをすること,それが終わった後,バレー部に入部すること,それらすべてがこの狭い北大で精一杯大きく生きる方法の様な気がしている。
(やまの ひでひさ,農学部1年,東京都出身)  

 

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