特集 ボランティア      
ボランティアとボランタリー・スピリット
杉 村   宏

  大体においてボランティアがもてはやされる時代は、うさん臭い時代である。ボランティア実践は、社会福祉を含む公共的政策の成立に先立って展開し、公共政策を生み出し、それに取って代わられる運命にある。ただ、公共政策にそって展開する実践のなかにボランタリー・スピリットが宿り、またこのボランタリー・スピリットなしに公共政策は成立しないのである。
  不十分ながらも社会福祉をはじめとする公共政策が整備され、人々の社会生活がそれらによって支えられる条件がある今日の社会状況で、ボランティアの効用が声高に叫ばれ、人々をそれに駆り立てるのは意図的であり、反ボランティア的でさえある。そのことを踏まえたうえでボランティア実践にかかわり、その精神を学ぶことは人間として自立していくうえで大切なことである。
  われわれはこと改まってボランティア実践などと言わなくとも、日々の生活の中でボランティアを実践している。人は誰でも自分の利益のためだけでなく、他者のために「身銭を切って」行なっていることの一つや二つはあるものである。そうした行為についてよく考えると、はじめから他者のために犠牲的に行っていると言うことではない場合がよくある。「自分の力を試したい」とか「自分を変えたい」と言った、動機は様々であるが自己の自立とかかわって、時に「身銭を切る」のである。このようにボランティア実践の根底にあるボランタリー・スピリットは、人間としての自立という問題に深くかかわっている。
  人は誰でも自立したいと願っているが、その自立なるものは誰の援助もなしに、自分だけで大地を踏みしめて立っているといった単純なものではない。われわれは社会生活を営んでいる以上、他者とのかかわりの中で、おたがいに支えあい、他者に依存しながら生きている。自立と依存という一見相反することが、われわれの社会生活では密やかに統一しながら、生活そのものを支えている。ボランタリー・スピリットは、こうした「相互依存的自立」の文字どおりその「魂」なのである。
大切なことはそのようなボランティア実践が、制度や政策の足りない分を補う実践である場合、そうした制度や政策と緊張感を保ち、変えていく展望を、実践している者たちの共通の理解にしていくことにある。そのように他者との関係の中で、またボランタリー・スピリットに支えられた実践のプロセスの中で、「自分を変え」「自分の力を試す」ことが可能になる。
  大いに身銭を切るがよい。そうして人間が大きくなればもっとよい。

(すぎむら ひろし,教育学部教授)



 

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