Special Essay      
西暦2000年総長挨拶
総長 丹 保 憲 仁

  生まれてこの方慣れ親しんできた西暦19XX年という上二桁が変わって、西暦2000年ということになりました。
  1000年期が大きく明けました。「おめでとうございます」

  平成で言えば只の11年から12年ですが、この地球一体化の時代、それも西欧起源の近代文明が世界を覆った末に、その規範では世界がもう動きのとれ難くなりつつあることを実感するこの時に、第三の西暦1000年世紀末を迎えたことに大きな感慨をもち、いささかの緊張といささかの重い気持ちの交錯した新年を迎えました。

  2000年大世紀末に一番の問題となったのが、人間がことの始めにちょっとした不注意と「けち」をしたことによって、その展開の先への跳ね返りを読み切れずに、自らが構成したコンピュータ空間にその影響を招き入れて大騒ぎした、Y2K問題である。幸い大きなこともなく2000年1月1日は過ぎたが、私のような原始人的思考の人間には先進技術依存の現代人類の自損事故のように思えてならない。人間の進歩ということを考える時の人間の頼りなさを考える大きな材料であるように思う。

  19世紀以来200年にわたって、科学技術を基礎において近代社会が拡大してきた。かつての王侯貴族にも望めなかったような高度で豊かな物質的な活動手段を、現代では只の人である我々が日常的に汎用し、その恩恵を広く受けている。その極まった所にコンピュータを核に据えた情報技術システムがある。

  極端な言い方を許して頂けるならば、現代の社会を形作っている大方の所は技術的なものである。そして、そのありようはあらゆる面で学校教育システムに下支えされた形で、世にあると言っても過言でない。その中で、大学が果たしてきた大きな役割は、科学という「一定の手順によれば一定の結論に達する」手続論の伝承と洗練を中心に置いて、人類の知的活動を拡大深化させてきたことである。

  残念なことに、人間なるものが考え及びうる範囲は高が知れているから、科学という手順論がちゃんとまかり通るためには、扱える事柄の複雑さがある単純さ以下に収まっていなければならない。科学が領域を限定して初めて成り立つ理由である。ニュートンが要件を限定した上で始めてその力学の法則を明快に記述し、諸事の展開の基盤となる科学的態度を打ち立てて以来、物理学的世界観が200年にわたり普遍的指導概念として、科学技術時代と言われる近代を支配してきた。

  その前の数世紀近くにわたる近世では、オールマイティな人物が存在していたように思う。扱うべき事柄がそれほどまでに精密でなく、ある程度の粗さで何とか人々が満足したのと、事柄の変化速度が自然現象よりはかなり早いにしても、個人の感覚的把握力の範囲内にあり得たことによるように思う。そして、もっとも優れた近世人の一人であろうレオナルド・ダビンチや最後の万能人といっても良いゲーテ等の人たちは、長命に助けられたにしても、自分の一生の持ち時間と個人の優れた才能と努力で、万能人であることを他の百万の凡俗に煩わされることなく発揮し得たのではないかと思う。

  様々な個人の持っている問題処理能力の分布は、今も昔もあまり変わらないとすれば、人口が増え、扱う対象も増し、変化の速度が早くなり処理すべき時間が短くなってくると、問題をより狭領域に限定しなければ手順論である科学技術は能力を発揮できない。そのため、対象領域数を増し、問題に関わる人間の数を大幅に増すことが必要になる。数が増えれば凡俗の人まで狩出さなければ事を処理できない。そうすると、平均的に言えば素質のいささか落ちる集団でも対応できるように、さほど優れていない人間の力量でも問題に応じられるように、比較的狭い範囲に対象を限って単純な境界条件となるように問題を設定し、再現性のある解(科学的扱い)が得られるようにする必要がある。

  一方で、自然哲学・ヒューマニテイズといった人間の知的理解の地平を広げようとする働きは、近代産業社会のもたらした繁栄に支えられてますます活発になる。その結果、扱うべき課題数も鰻登りに多くなる。学問の量的発展ということであろうか。個別の活動を上述のように、扱える複雑さの限度(範囲)内に課題を設定して考えることになると、科学の分化、専門分野化はますます激しく進み、もはやオールマイティな大家の出てくるのが困難(不可能)な状況となる。加えて、専門分化により問題が多岐に渡って提示されるようになると、それを扱う専門家と称する人々の分野と人数も沢山に必要になってくる。細分化された分野ごとの専門家としての科学者・技術者の出現である。母集団の人間がそれほど進歩発達するとは思えないから、数が増えれば教育の効果を加えてもなお、かつてのトップエリートとはいささか異なる階層の、近世なら代表的な凡俗のグループに分類されるような人々(我々)が、近代では知的生産の仕事と称してアカデミズムを論じることになる。大学も大衆化して分画された手順論を何々学として教え、縦割り型の近代産業社会の直接的な必要に応える。科学の普遍化と学問の大衆化(退廃)の図式である。

  乱暴に言えば近代の学問は、「科学」と「科学でない学問」に分解してきたように思う。此処で仮に「科学」を「一定の手順によれば一定の結論に達する」明確な手順論であるとすると、その手順は汎用的な基礎学に始まり、各専門分野の基礎がその上に乗り、専門分野の応用的展開が基幹的技術の上にあるという順番になろうか。基礎に始まり最後には応用分野の研究に至る積み上げ可能な世界である。特に、物理学的な科学分野は法則の有効性が高い分野であり、その代表的応用分野である機械工学、電子工学などの相当な領域では、コンピュータが法則性のほとんど完全な実現と曖昧さの駆逐を成し遂げ、高い精度と極限までの高速処理を発展させてきた。
  しかしながら、より複雑で統合的な生命体を対象とするような世界では、力学の法則のような高い精度と再現性を持った科学に至るには我々はまだまだ力量不足である。この世界は漸く歩き出したばかりであり、物理学的科学の精華であるコンピュータの大発達に支えられて、今より一段とヒエラルキーの高い知的段階に人類を導こうとしているように思われる。この段階では、コンピュータの論理さえ、生命体のそれにすり寄っていくようである。

  それに対して、手順論としての科学にほとんど馴染まない学問の大分野がある。文系と俗称されている領域である。読み書きそろばんの道具として、この技術社会に生きていくには理系の人間と同じようにコンピュータの素養は必要なものであろう。難しいことに、理系の大学教育で必須のシステムである共通的な基礎からの積み上げ型の教育を、文系の教育課程では明示しがたいと少なからぬ数の先生方がいわれる。理系がどんどん分科細目化して、教育年限も大学院までが普通になりつつあるのに対し、文系では大学院生の数が理系ほど多くならない。近世までは学問の核はヒューマニテイズであり、中華社会の中枢では、科挙に見られるように指導者の要件を高い文人的素養のみに置いていた。科学に根ざし、技術的な素養を重んじた近代西欧型社会に乗り遅れた理由の一つのようにも思われる。

  20世紀における近代化の歩みは、科学万能に近く、科学することこそが進歩と考えられた。ヒューマニテイズが我が国では人文科学と称されているが、科学とは違うべきではないか、科学肥大化の弊に毒された呼称ではないかとかねがね考えていた。生命の科学すら今漸く緒につきはじめたばかりの人類に、自身の深奥のヒューマニティを科学として扱うには、我々の人間に対する知識はまだまだ少ないように思う。学問には科学化出来るものとそうでないものがあると堂々といって、肥大化した科学技術社会に向き合う非科学的なヒューマニテイズの確立が今再び求められているのではないだろうか。おそらく、社会科学すら近代の自然科学の興隆を範型として擬似的科学として成立したように思えてならない。人間を含む集団に科学の適用がいかに困難であるかを苦い経験と大きな犠牲を払って人類は経験したように思う。現代のヒューマニテイズには、近世と違って、コンピュータ支援の生命科学・脳科学という新たな挑戦者との間の壮絶な戦いと難しい共生が待っているような気がする。

  科学という分科学(知の手順論)も、それを専らにする職業人である科学者の成立も歴史的に見れはそんなに古いことではは無いように思う。職業としては、高々200年に満たない歴史しか無いように思う。分野を限って、(分)科学を成立させ、法則性を限定された分野で見いだし、その普遍化を図る一方で、分野を細分化して法則化の成立する限界をより厳密に求めようとする。科学の先端化の二方向であろう。分野を限定し学問分野の細分化が進めば、その領域にいる専門家だけがその学問を良く理解できることになるから、仲間同士による評価、すなわちピア・レビュウのみがその学問を正当に評価できることになるという筋書きが出てくる。去る時代にどこかの世界でもこのようなことが進み、巨大な時代が科学の進展によってはじけたことを思い出す。我々のような科学を生業とする人間が立ち止まって考えることが、科学と科学者が栄光の時を過ごし得た20世紀の最後にどうしても必要と思う。本気になって省み、次の展開を組織的に考え始めるべき時でないかと思う。科学がさらに(分)科学化して、元々持っていた特性(弱点の側)が度を超え、科学者なる人間が特別な世界に住むものとなって社会と遊離してはなるまい。孤立と自立を混同してはならないのだと思う。

  分科学としての先端化・精密化と新たな分野を開拓する基本原理の獲得は、科学が始まって以来の科学者の働きの伝統的な展開方向である。この近代科学技術社会の中で、ヒューマニテーズの活動の少なからずが、科学・技術の分科的急速展開に異議申し立てをしたり批判したりすることにあったようにも思われる。意味のある重要なことであったにしても、二次的な活動と言われかねないものであったかもしれない。人間の学としての学問が期待される指導性を発揮できなかったり、逆に、教条的になって無理を重ねてしまったりしたようにも思える。これからの時代、科学がその成り立ちからして持っている分科学的欠点を複合化でより適応正面の広いものに展開する過程で、科学でない学問がその過程にはじめから関与して科学的展開をきちっと包み込む形で、次の世紀の人間のための具体の学問を創って行かねばならないと思う。横断的・総合的に学問を組み替えていくのが次の時代の大学の大きな仕事と思う。“スモール・イズ・ビューテフル”がいま改めて複合のためのキーワードとして心に浮かぶ。人文学・社会科学・自然科学・科学技術・芸術を分化的職業にした縦割り社会の単調さと環境への無駄な負荷を排除して、人間の孤立を解消する総合的な学問と教育を新たな視点で創り始めたいものである。

  西暦2000年という第三ミレニアムを目前にした怪しき新年の風に吹かれて、新春のたわごとを述べさせていただいた。北大の教職員・学生・同窓生の皆さん、今年も、健康に留意されて、それぞれの思うところで世のため、国のためにお働き下さい。

 

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