名誉教授鈴木重吉氏は,平成14年11月30日午後3時18分御逝去されました。ここに先生の生前の御功績を偲び,謹んで追悼の意を表します。
同氏は,大正5年9月14日北海道に生まれ,昭和17年1月10日現役二等兵として歩兵第二七連隊に入隊,同20年8月20日陸軍中尉となり,同年8月30日召集解除により除隊,同年9月1日従7位に叙せられました。昭和20年9月広島文理科大学文学科英語英文学専攻を卒業後,同年10月北海道庁に奉職,同21年10月北海道庁立小樽商業学校教諭,小樽経済専門学校嘱託を経て,同22年10月15日北海道大学法文学部に勤務しました。昭和24年6月30日北海道大学法文学部講師となり,同26年4月1日北海道大学文学部講師に配置換,同27年12月6日同助教授,同42年8月1日北海道大学文学部教授に昇任しました。その後,昭和55年4月1日停年により退官,北海道大学名誉教授の称号を授与されました。北海道大学退官後は,昭和55年4月2日から札幌商科大学教授,同56年4月2日立正大学文学部及び大学院研究科教授となり,昭和60年4月から同61年3月まで立正大学人文科学研究所所長を歴任,同62年3月31日同大学を退職した後は,平成6年3月まで京都外国語大学専任教授として勤務されました。
同氏は,永年にわたって北海道大学教養部における英語教育に精励するとともに,アメリカ文学の研究と教育に努め,幾多の優れた業績を発表し,専門分野に多大な貢献をなすとともに,わが国におけるアメリカ文学研究の中心的存在の一人として後進の指導に専念し,優れた人材の育成に当たり,学会の発展に寄与しました。また,文学部一般教育課程において英語を講ずる傍ら,昭和54年4月からは同大学大学院文学研究科においても英文学特殊講義を担当しました。
同氏は,昭和50年1月1日から同51年12月31日まで北海道大学教養部長を務め,変動期にあった同大学教養部の運営に際しその改革と充実に尽力され,また,昭和46年2月1日から同49年1月31日まで及び同50年1月1日から同51年12月31日までの計5年間北海道大学評議員を併任,北海道大学の管理運営に多大な貢献をされました。
同氏の専攻分野はアメリカ文学であり,特に19世紀中葉の作家ナサニエル・ホーソーンを対象とする研究は,我が国における第一人者の地位にありました。人間の深奥に潜む悪の魂を描くこの作家の作品を,ときに心理分析学の手法を採用しつつ,精緻に分析し,その本質の解明を行うという研究の態度は,ホーソーン研究の伝統の上にあるとともに,近接する研究分野の新しい成果をも吸収しつつ,それを正統的に発展させる態度であって,当然のことながらその結果,同氏の多くの優れた研究業績は内外から注目され,高く評価されました。この研究によって,昭和40年3月25日立教大学から文学博士の学位を授与されました。また,作品そのものの充全な理解を必然とするこうした研究方法と併せて,多くの作品の翻訳にも努め,アメリカ文学のみならず,広くアメリカ文化全般に対する一般識者の知識の啓蒙に寄与した功績は多大であります。
こうしたアメリカ文化に対する同氏の関心は,一方で学際的研究に発展し,いわゆる新しい学問分野としての地域研究の我が国における創始者の一人であって,同氏は北海道大学教養部においてこれを講ずるのみならず,同大学の研究者とともに北海道アメリカ学会を発足させ,これを母体として自ら主導的な役割を担いつつ,昭和57年「アメリカ研究札幌クールセミナー」を創設しました。このセミナーは,今や日本におけるアメリカ研究の中心的存在となっていて世界的にも注目されています。
学外においては,北海道アメリカ学会会長,及び日本アメリカ文学会北海道支部長,並びに日本アメリカ文学会代議員の要職を歴任し,永く北海道のアメリカ文学研究の中枢として活躍,その指導の任に当たり,学会の活動発展に大きく寄与しました。また,昭和56年10月17日日本ナサニエル・ホーソーン協会の発足に当たり,その会長に就任,爾来(じらい)その運営に意を用いるとともに,ホーソーン研究の中心的存在として尽力されました。
ここに先生の御生前の功績を偲び,心より御冥福をお祈り申し上げます。
(文学研究科・文学部)
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