○佐藤 修(さとうおさむ) 氏
この度は叙勲の栄に浴しましたことを,光栄に思っております。
このことは,長年に亘りご指導,ご鞭撻をいただきました諸先生,諸先輩を始め,学内外の多くの方々のご支援,ご協力を賜りましたお陰と,深くお礼申し上げる次第です。
あこがれの北海道帝国大学予科理類に,私が入学を許可されたのは,日本が戦争拡大へと進む最中の昭和18年4月でした。入学はしましたが,援農,飛行場整備,工場へと学徒動員され,加えて,予科は2年に短縮され学部に移行となりました。理学部での授業は,大学にいる実感に浸ることができましたが,それも僅か4ヶ月で敗戦を迎え,学生は全員一時帰休となり,授業再開の通知を受けたのは約半年後でした。それでも,残りの2年間の特別時間割による詰め込み授業により,昭和23年3月私達は北海道大学最初の卒業生として,人員不足の社会に送り出されてしまいました。
幸運にも私は,体が頑丈な事と泳げる事が理由で,理学部副手として採用が決まり,以後,理学部,工学部の多くの先生方と協同で沿岸域の調査研究を行いました。調査の中で,「海底面近くの漂砂の研究」を自分のテーマとして実施することが許されました。私は,自分で開発した装置を,海底の幾つかの地点に素潜りで設置し,一定時間後に素潜りで回収しました。装置から得られた捕砂量を用いて算出した漂砂ベクトルを使い,海底地形の変化予測も可能にしました。これらの結果は,私の学位論文ともなりました。
昭和28年には,水産学部に移り,漁具物理学講座に配置されて,漁具を含む水中構造物の流体力学的特性を明らかにする研究を始めました。昭和36年に日本でアクアラングの製造販売が始まると聞き,早速それを購入しました。空気ボンベを背負って初めて海に潜ったときは,魚と自由に鬼ごっこが出来ることに感激しました。以後,漁具や水産増養殖施設,人工魚礁などの水槽模型実験を行うと共に,実物の水中形状変化などを潜水観察出来る様になったことは,たとえ様もなく楽しかった。外海の荒い海域で,ホタテ,コンブ,ワカメなどの養殖を可能にした施設の開発も潜水観察のお陰でした。
更に,人工魚礁の形状,海底分布,部分的流況の変化,魚種の蝟集状況等の関係についても,潜水による測定・観察は,実験室では得られない多くの有効な情報を得ることが出来ました。米国で1983年に開催された第3回世界人工魚礁会議での招待講演は,それらを纒めたものでした。
潜水は私の研究の中でいつも重要な役割を果たして呉れましたが,潜水の安全が確保出来たのは,沢山のスタッフのお陰であり,協力頂いた皆さんに改めて感謝いたします。
定年前の4年間は,図らずも学部長の重責を担うことになりましたが,教授会の構成員を始め,学部の職員の皆さんのお力添えを頂き,大過なく職責を果たすことが出来ましたことを深く感謝しております。
最後になりましたが,北海道大学の大いなる発展を心を込めてご祈念申し上げます。
略 歴 等 |
生年月日 |
大正14年6月11日 |
出身地 |
愛知県 |
昭和23年3月 |
北海道帝国大学理学部卒業 |
昭和23年7月 |
北海道大学理学部副手 |
昭和25年12月 |
北海道大学理学部助手 |
昭和28年4月 |
北海道大学水産学部講師 |
昭和34年9月 |
北海道大学水産学部助教授 |
昭和37年3月 |
理学博士(北海道大学) |
昭和49年4月 |
北海道大学水産学部教授 |
昭和60年4月 |
北海道大学水産学部長・大学院水産学研究科長 |
平成元年3月 |
平成元年3月 |
北海道大学停年退職 |
平成元年4月 |
北海道大学名誉教授 |
功 績 等
佐藤修氏は大正14年6月11日愛知県に生まれ,昭和23年3月北海道帝国大学理学部物理学科を卒業され,同7月同大学副手,同25年12月同大学助手,同28年4月同大学講師,同34年9月同大学助教授,同49年4月同大学教授,同60年4月同大学水産学部長及び同大学大学院水産学研究科長を経て,平成元年3月停年により退官され,同4月北海道大学名誉教授の称号を授与されました。退官後は,平成2年4月から平成9年3月まで財団法人テクノポリス函館技術振興協会副理事長及び北海道立工業技術センター長として勤務され,今日に至っております。
この間,同人は長年にわたって水産工学分野,漁具工学分野の教育研究に務められました。漁具の流体力学的解析研究では,定常流及び非定常流中における網地,綱の流体抵抗の実験と理論的解析を始め,オッターボード,その他各種漁具の流体力諸特性について解析し,漁具工学の理論的体系化に大きく寄与されました。人工魚礁に関する研究では構造力学的および流体力学的実験と理論的解析を行い,人工魚礁の物理学的諸特性を明らかにし,日本を始め世界における人工魚礁による漁場造成事業を積極的に推進するための主導的な役割を演じられ,その基本的考え方は世界的に注目され高く評価されております。
地域社会活動としては,昭和38年度から昭和42年度にかけて北海道から委嘱された浅海増殖事業の効果確認調査及び漁場環境調査事務を始め,津軽海域総合開発協議会委員,北海道総合開発委員会臨時委員,北海道科学技術審議会委員,氷海海洋科学技術総合研究開発推進委員会委員等を勤められ,北海道の文化,産業の振興に著しく貢献されました。また,北海道沿岸漁業振興対策委員会委員,北海道マリノベーション構想調査検討委員会委員,特定地域沿岸漁場開発調査委託事業に係る中央解析検討会委員,北海道津軽海峡地域マリノベーション構想推進協議会委員等を歴任し,沿岸漁業の振興と発展に大いに寄与されるとともに,さらに財団法人テクノポリス函館技術振興会副理事長,北海道立工業技術センター長として地域産業の発展に尽力されました。
学内においては,昭和52年6月から平成元年3月まで北海道大学評議員として,昭和60年4月から平成元年3月まで北海道大学水産学部長及び北海道大学大学院水産学研究科長として大学運営の枢機に参加されるとともに,学部並びに大学の運営及び整備充実に尽力されました。
以上のように,同人は長きにわたり,教育研究に尽力され,北海道大学の発展は勿論のこと,学術の進展並びに地域産業の振興,さらには日本の水産業の発展に果たされたその功績は誠に顕著であります。
(水産科学研究科・水産学部) |