名誉教授 大原 達 氏は,平成15年6月24日午後3時56分に脳梗塞のため御逝去されました。ここに先生の生前の御功績を偲び,謹んで哀悼の意を表します。
大原氏は,大正5年3月14日札幌市に生まれました。昭和15年北海道帝国大学医学部を卒業,直ちに同大学医学部副手を経て助手として細菌学講座に勤務,昭和16年1月から19年1月まで陸軍に応召,その間旭川陸軍病院軍医として勤務,またアッツ島上陸作戦にも参加され,昭和19年2月から再び細菌学教室で研究に従事,同年6月北海道帝国大学附属医学専門部教授,同25年3月北海道大学医学部助教授,同年4月本学に設立された結核研究所に移り,同27年1月教授に昇任され,同49年6月結核症の減少により使命を負えた結核研究所が免疫科学研究所へ改組されたことに伴い,血清学部門を担当され,39年の長きにわたって本学医学部細菌学教室における細菌,リケッチア殊に発疹チフス感染の基礎的研究,結核研究所における結核の免疫とアレルギーの関係の新しい解釈,結核の血清反応の解析と展開,免疫グロブリンの構造,機能の研究,免疫応答におけるTリンパ球の制御作用の研究など広範な分野の研究と教育に重要な貢献をされました。その間,昭和49年4月から5年間結核研究所及び免疫科学研究所長,本学評議員を勤められ,本研究所並びに本学の発展に多大の尽力をされ,昭和54年3月に停年退官,同年4月に北海道大学名誉教授の称号を授与されました。また,こうした功労,功績の他に日本アレルギー学会および日本細菌学会での活躍が認められ,平成元年4月には,勲二等瑞宝章を受けられました。
退官後,昭和56年には科学領域の解説書のブルーバックス(講談社刊)の1冊として「新しい免疫−ワクチンからTオロジーまで」を世に問われましたが,将に悠々自適の日々をお過ごしになり,いくつかの病気を持たれておりましたが,上手に病とつき合われ,日頃「一病息災どころか六病息災だよ」とおっしゃりながらお元気に,読書とクラシック音楽を愛され,また,しばしば御家族と旅行を楽しまれておられました。
大原氏の研究は結核症におけるツベルクリン反応によって見られるアレルギーとBCG接種によって賦与される感染防御免疫は異なる現象ではなく,同一現象の異なる側面を見ていないと云う立場から実験を精力的に行って,免疫とアレルギーは同じ現象であるが,個体の免疫の状態によってアレルギーの表現は異なるという新しい解釈を発表し,国内外で大きな反響を呼び,この成果を昭和34年の日本医学会総会で講演し,高い評価を得ました。昭和38年から1年間の米国留学で免疫学の新しい流れを実感され,生化学,細胞学の手法を用いて,免疫現象を解明されました。それらは免疫グロブリンのクラススイッチ,免疫応答の時期による抗体の抗原結合力の変化,抗体分子の抗原結合力に関与するH鎖の役割,各種免疫反応における抗体のクラスの究明,免疫応答におけるTリンパ球の制御作用,胸腺内抗原注射により誘導されるサプレッサーT細胞の解析など多岐にわたりました。
これらの研究の間に後進の育成,指導に力を注ぎ,また免疫学の急速な進歩に対応して昭和48年には「現代免疫学」同52年には「免疫の科学(全3巻)」を編集,執筆し時代の要請に応えておられます。
このような研究活動によって昭和46年,日本アレルギー学会長として,札幌で第21回総会を主宰されました。同57年にはその永年の活躍と功労に対し同学会名誉会員に推されました。また,同43年,アレルギー研究の発展,市民の啓蒙,アレルギー患者の健康管理事業のため設立された日本アレルギー協会の理事,北海道支部長として同59年まで活動を続けられました。また,昭和47年から1年間日本細菌学会理事として,同47年から2年間は同学会北海道支部長として,細菌学の発展に寄与されました。
先生の御功績を永く記憶し,ここに心より御冥福をお祈り申し上げます。
(遺伝子病制御研究所)
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