訃報
名誉教授 相沢  幹(あいざわみき) 氏(享年78歳)
名誉教授 相沢  幹(あいざわみき) 氏(享年78歳)

 名誉教授 相沢 幹氏は,平成15年10月31日心不全のため御逝去されました。
 ここに,先生の生前の御功績を偲び,謹んで哀悼の意を表します。
 同氏は,大正14年2月5日北海道斜里郡斜里町に生まれ,昭和22年9月北海道帝国大学医学部医学科を卒業,翌23年10月北海道大学大学院特別研究生として医学部病理学第一講座にて研究を開始されました。昭和27年7月同講座助教授,昭和40年6月北海道大学医学部教授に任ぜられ同講座を担当,昭和63年3月同大学を停年退職し,同年4月北海道大学名誉教授の称号を授与されました。退官後は平成元年8月から北海道公安委員会公安委員,同6年6月から7年8月まで同公安委員会委員長の公職につき,北海道の公安維持に尽力されました。また,平成2年4月から北海道組織病理学センター会長に就任し,同12年4月には名誉会長となられました。
 北海道大学教授として23年間,医学部病理学第一講座を担当し,教育,研究に従事されるとともに,多数の病理学者,病理医,移植ならびに免疫学を専門とする医師や研究者の育成に尽くされ,その薫育をうけた教え子は国内はもとより世界中で活躍し,人類の福祉向上に寄与しています。
 同氏の研究活動は病理学及び免疫学全般にわたっていますが,中でも最も重要なものは「主要組織適合複合体」の研究です。その成果は昭和48年に開催された第62回日本病理学会総会において「移植と移植免疫」として宿題報告され,会員の高い評価を受けました。発表後は研究範囲を更に広げ,ラットを用いた実験的腎臓移植,肝臓移植,心臓移植の方法を樹立し,臓器の生着と主要組織適合複合体との関連,種々の抗原物質に対する免疫応答の遺伝学的解析を行い,ヒト臓器移植のモデルを提供されました。更に,ラットの研究からヒトの主用組織複合体であるHLA系の解析に進み,日本人に特徴的なHLA抗原の発見や抗原分布を利用した人類学的研究,またベーチェット病,インスリン依存性糖尿病,Vogt−小柳−原田病,遺伝性脊髄小脳変性症などの各種疾患の発症に関わる遺伝的要因を明らかにされました。
 この他,北海道に広く発生の見られるアニサキス症の発症機序に関する免疫学的研究,ラットを用いた発癌の研究,および臨床病理学的研究など多くの業績があります。中でも特記すべき独創的業績として,ラットの臓器移植ならびに免疫遺伝学的研究に欠くことのできない近交系動物や,ある特定の遺伝子のみを置換し,背景の遺伝子構成が全く同一であるコンジェニックラットを長年かけて開発したことが挙げられます。このラットの開発は,後人に臓器移植モデルや疾患感受性の免疫遺伝学的解析モデルとしての基礎的研究材料を提供した点で特に意義深いものであります。
 学内にあっては医学部長(昭和58年7月〜昭和62年7月),学生部長(昭和49年4月〜昭和50年6月),医学部附属動物実験施設長(昭和47年11月〜昭和58年7月),医学部附属病院病理部長(昭和61年1月〜昭和63年3月)を歴任し,医学部および同附属病院の運営や大学運営の充実,北海道大学の発展に尽力されました。
 学会活動としては,数期にわたり日本病理学会理事をつとめ,病理学会の発展のために多大な貢献をされました。そのほか日本免疫学会,日本移植学会,日本癌学会の評議員として活躍されました。昭和46年には第7回日本移植学会会長,昭和52年には第7回日本免疫学会世話人,昭和63年5月には第77回日本病理学会総会会長として各学会を開催され,成功裏に終了しました。さらに,国際的学会活動として,昭和61年6月には第3回アジアオセアニア組織適合性ワークショップ,平成3年11月には第11回国際組織適合性ワークショップを主催されました。その成果は学会終了後,モノグラフ「HLA IN ASIA-OCEANIA」あるいは「HLA 1991」として刊行され,この分野の研究に携わる世界中の学者のバイブルとして活用されています。
 同氏のこれらの功績に対して,昭和55年11月に日本医師会医学賞,昭和63年2月に北海道科学技術賞,そして平成14年4月には勲二等瑞宝章が授与されました。
 以上のように,病理学の教育・指導・研究を通して,北海道大学ならびに同大学医学部の発展に寄与し,わが国の病理学会の重鎮として卓越した業績をあげ,わが国ならびに世界の関連領域の研究進展に多大の貢献をされました同氏を失ったことは痛恨の極みであります。
 ここに,相沢幹先生の御冥福を心よりお祈り申し上げます。

(医学研究科・医学部)


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