名誉教授 伊藤眞次 氏は,平成15年12月10日肺癌のため御逝去されました。ここに,先生の生前の御功績を偲び,謹んで哀悼の意を表します。
同氏は,明治45年2月16日三重県宇治山田市に生まれ,昭和10年3月名古屋医科大学を卒業,引き続き同大学において生理学の研究に従事し,昭和14年4月名古屋帝国大学医学部助手となり,昭和16年2月「発汗生理学=特に,汗の化学的成分に関する研究」により名古屋帝国大学から医学博士の学位を授与されました。その後,講師を経て,昭和22年4月名古屋帝国大学助教授,昭和32年8月北海道大学教授に任ぜられ,昭和50年4月停年により退官し,同年5月北海道大学名誉教授の称号を授与されました。退官後は,塩野義製薬株式会社研究所顧問として研究活動を続けるかたわら,昭和51年9月から同年12月までカナダオンタリオ州立ゲルフ大学客員教授として招へいされました。
同氏は,一貫して生理学を専攻,昭和32年に北海道大学医学部生理学第一講座担任教授に就任以来,17年余にわたって生理学の研究はもとより,医学の教育,後進の指導育成につとめられました。
同氏の研究領域は内分泌生理学と気候生理学にわかれます。同氏がわが国に内分泌生理学研究の基盤を作った功績は大であり,特に,当時新しい概念であった神経内分泌学に着目し,わが国における神経内分泌学の開拓に当たり,この分野で優れた門下生を養成した功績は顕著であります。さらに,ホルモンの研究を行動と精神活動の領域にまでひろげ,大脳皮質にあるホルモン様物質を用いることによってある種の精神病の治療が可能であることを実験的に示されました。気候生理学の分野では,寒さへの適応について一連の実験をヒトと動物とで行い,特にアイヌの耐寒性の本質を明らかにした研究成果は,世界のこの分野の学者によって極めて高く評価されています。かつて,この種の研究はどの民族についても行われたことがなく,独自の研究方法を開発したことは,偉大な貢献であります。これらのヒトの寒冷地適応に関する研究に対し,昭和43年2月には北海道科学技術賞,昭和46年9月には北海道医師会賞が授与され,さらに昭和60年4月には勲三等旭日中綬章が授与されました。
北海道大学在職中は,学生の教育,研究生や大学院生の研究指導に寝食を忘れて尽力され,北海道大学超遠心機委員会委員長,医学部図書委員会委員長,放射性同位元素等管理委員会委員長,及び北海道大学評議員等の要職を歴任され,北海道大学運営の枢機に参画し,大学行政に寄与されました。
学会活動としては,日本生理学会評議員・常任幹事,日本生気象学会幹事,日本内分泌学会理事等を歴任されました。また,昭和42年から計6回にわたり「神経内分泌シンポジウム」を主宰され,これを母体に昭和54年に日本内分泌学会に神経内分泌分科会が設けられました。
国際的には,第23回国際生理科学会議組織委員会委員,国際生気象学会顧問を歴任され,昭和40年には日米科学寒地民族の適応性セミナーを主催,昭和41年に国際生気象学会シンポジウム,昭和49年に第26回国際生理科学会議のシンポジウムの座長をつとめられ,さらに昭和44年から昭和45年にかけて寒冷甲状腺国際共同研究員を,昭和45年から昭和50年まで北極圏民族国際共同出版実行委員会委員をつとめられました。昭和49年には第3回国際北極圏保健シンポジウム組織委員として活躍し,昭和42年から2年間にわたり日米科学「人体の寒冷適応性と作業力」の共同研究を指導推進されました。
以上のように国内のみならず,国際的に活躍し,斯界の発展に偉大な貢献をされました同氏を失ったことは痛恨の極みであります。
ここに,伊藤眞次先生の御冥福を心よりお祈り申し上げます。
(医学研究科・医学部)
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