名誉教授 工学博士 礒部俊郎氏は,平成15年12月31日(水)午後7時19分,胸部大動脈瘤破裂のため,最愛の奥様とお嬢様の見守る中,旭川市において御逝去されました。ここに先生の生前の御功績を偲び,謹んで哀悼の意を表させていただきます。
先生は大正9年7月5日北海道三笠市でお生まれになり,昭和18年9月に北海道帝国大学工学部鉱山工学科を卒業,同10月海軍予備学生として入隊,同20年9月復員(復員時階級 海軍中尉)され,同21年4月北海道大学工学部副手,同22年11月同学部助手となられ,同27年10月から羽幌炭鉱鉄道(株)に勤務されました。その間,大学時代に培った理論計算と炭鉱現場での計測結果をもとに,「緩傾斜長壁式切羽の地圧現象に関する研究」をまとめられ,同31年11月に北海道大学から工学博士の学位を授与されました。同32年5月請われて北海道大学工学部教授に就任され,鉱山工学科鉱山学第二講座を担当されました。爾来(じらい),同学科及びその後身である資源開発工学科の充実と発展に大きく貢献されるとともに,学内にあっては,教育学部,農学部,文学部,さらに学外にあっては秋田大学,北見工業大学,室蘭工業大学の非常勤講師を併任されるとともに,同49年4月から同50年3月までは北見工業大学の教授を併任されるなどして,多くの技術者,研究者の育成に尽力されました。
その後,同59年4月停年により御退職,同年同月北海道大学名誉教授の称号を授与されました。同大学退職後,同61年2月中華人民共和国阜新鉱業学院客員教授となられ,平成元年までの間中国で学生の教育・指導に当たられ,同学院の名誉教授にも任じられておられます。
北海道大学に奉職されて以来,27年余りの永きにわたり,鉱山学及び鉱山保安学に関する教育・研究に専念され,常に理論と実験を表裏一体とする立場を堅持されました。炭鉱・鉱山の生産性と安全性の向上に関連する広範な分野で独創的かつ開拓的研究を推進し,多大な貢献をなされました。足繁く炭鉱に出向き,山はね,ガス突出等災害の原因の科学的解明に取り組むとともに,道内外の多くの炭鉱事故の原因調査に参加し,事故防止対策を提言されました。これらの業績に対し,昭和58年に日本鉱業会論文賞が,また平成6年には勲三等旭日中綬章が贈られました。
先生はまた国際交流に積極的に取り組み,多くの国際会議の運営及び学術の交流に貢献されるとともに,多数の外国人研究生を受け入れ,その教育にも力を注がれました。
さらに,学内にあっては各種委員会委員として積極的に大学の運営に参画されることはもとより,学外にあっては日本鉱業会会長,日本学術会議会員,石炭鉱業審議会委員,学術審議会専門委員,中央鉱山保安協議会委員,札幌地方鉱山保安協議会会長,北海道炭鉱技術会会長等々の要職を歴任され,学術の発展に多大な寄与をされました。
このように,教育・研究の両面ばかりでなく社会的にも偉大なお仕事をなさった礒部先生を失ったことは痛恨の極みです。ここに先生の御冥福を心からお祈り申し上げます。
(工学研究科・工学部)
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