訃報
名誉教授 大畑 甚一(おおはたじんいち) 氏(享年80歳)
名誉教授 大畑 甚一(おおはたじんいち) 氏(享年80歳)

 名誉教授 大畑 甚一氏は,平成16年2月14日肺炎のため御逝去されました。ここに,先生の生前の御功績を偲び,謹んで哀悼の意を表します。
 先生は,大正12年11月15日奈良県大和郡山市に生まれ,昭和24年3月京都大学文学部哲学科を卒業,昭和33年3月東京都立大学大学院人文科学研究科修士課程哲学専攻を修了され,直ちに同博士課程に進学,昭和36年3月に同課程単位取得退学,昭和36年4月より東京都立大学助手を勤められました。昭和38年4月より北海道大学文学部に助教授として赴任,その後,昭和46年4月北海道大学文学部教授に任ぜられ,昭和62年3月に停年退職されるまで,24年間にわたって研究・教育に当たられました。また,この間,昭和55年から昭和59年まで北海道大学評議員を務められるとともに,教養部改革など学内行政にも尽力され,昭和62年4月には北海道大学名誉教授の称号を授与されました。
 先生は,長年,一般教育科目として論理学の講義を担当されてきました。その講義内容は主として現代記号論理学の初歩を学生に習得させるためのものでしたが,そのスタイルは,厳密で懇切丁寧であるばかりでなく,論理学的な手法の背後にある哲学的な問題に常に配慮するという独特のものでした。このスタイルは,先生御自身の研究にもはっきりと反映されています。一般的に言えば,先生の研究分野は哲学と論理学の二分野であると言えそうですが,実際は,その両方にまたがる境界領域だというのが正解であり,そうした境界領域に関する研究のわが国における先駆者の一人でもありました。 このことは,先生がイギリス経験論の研究を出発点にしていることと無縁ではないように思われます。初期の研究対象であったロックやバークリの経験論に始まる経験主義の系譜は,論理実証主義をへて,現代のクワインやその他,自然主義の哲学へとつながりますが,この系譜は同時に論理学の哲学の一つの系譜でもあるからです。大畑先生は,この経験主義の系譜を論理学の哲学を通じてたどることを一つの課題とされていました。一方,論理学分野の研究においても先生は独特の観点を持っておられました。先生は昭和48年に「非対称結合子Tを含む論理系について」という論文を書いておられますが,退職時の最終講義でも再びこのテーマを取り上げられ,この話題になみなみならぬ関心をお持ちだったことが伺えます。この論理系は,Tという真理述語を演算子として含むような体系です。通常,論理学では,論理的推論を表現する形式的な体系とその体系を評価するための意味論とを分離して考え,「真理」述語は後者,体系の評価の部分に属すると考えられます。しかし,この問題の体系は評価のための述語を体系そのもののうちに含むような体系であり,形式体系と意味論とを截然と分離して考える現代論理学のオーソドックスな観点からすれば,かなり奇妙な体系と考えられます。先生は,無批判に現代のオーソドキシーを受け入れるのではなく,むしろこうした奇妙な体系の挙動をいわば経験主義的に観察することを通して論理学の本性を明らかにしようとした姿勢をお持ちでした。フィンランドとイギリスを回られた在外研究の折に,この体系の創始者フォン・ヴリクトのもとを訪問されたことをなつかしく語っておられたことが思い出されます。また,御自身でボルツアーノの判断論に関する論文を発表されているほか,大学院の演習では,クワインの『語と対象』,ヒンティッカの分岐量化子理論,直観主義論理,時間論などの話題を次々に取り上げられました。いま振り返ってみれば,当時の最高水準の議論を提供されていたとともに,学生への教育という観点からも周到な配慮をされていたことがはっきりとわかります。
 このように先生は,自ら真摯で厳格な研究・教育の姿勢を示すことによって,またその飾らない人柄によって,多くの学生を引きつけ,導いてこられました。もはや先生からの厳しい指摘や評価を聞けないのはとても残念なことですが,ここに大畑甚一先生の御冥福を心よりお祈り申し上げます。

(文学研究科・文学部)


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