訃報
名誉教授 中村 治雄(なかむらはるお) 氏(享年90歳)
名誉教授 中村 治雄(なかむらはるお) 氏(享年90歳)

 名誉教授中村治雄氏は,くも膜下出血後遺症で入院加療中,平成16年4月16日午前6時23分肺炎のため御逝去されました。ここに先生の御生前の御功績を偲び謹んで哀悼の意を表します。
 先生は,大正3年2月27日北海道旭川市に生まれ,昭和16年3月北海道帝国大学医学部を卒業,大学院特別研究生第1期を修了し副手として医学部生理学講座に入られました。昭和18年医学部助手となり,昭和24年12月北海道大学助教授(医学部勤務),昭和28年4月北海道大学医学部助教授に任ぜられ,長く医学部生理学第一講座において研究と教育に尽力されました。昭和42年6月歯学部創設に当たり北海道大学歯学部助教授となり,昭和43年4月口腔生理学講座教授となられました。昭和44年4月初代歯学部長となり,初期の教育方針の確立,設備の充実に献身的に尽力されました。昭和46年3月まで歯学部長,北海道大学評議員及び北海道大学協議員を兼務され,その後も昭和48年8月から10月まで北海道大学協議員,昭和48年8月から昭和50年8月まで北海道大学評議員を勤められ,全学の研究と教育の発展にも多大の貢献をされました。昭和52年4月停年退官ともに北海道大学名誉教授の称号が授与されました。その前年,昭和51年4月安倍三史学長(北海道大学名誉教授)のもと東日本学園大学(現北海道医療大学)の歯学部新設設立準備委員となられ,退官後同大学に移られ,昭和53年同大学歯学部の初代口腔生理学教授となられました。再び新しく口腔生理学の研究と教育を確立され,昭和60年3月まで勤められました。
 この間,研究生活当初は,第2次世界大戦の過酷な研究条件にもかかわらず簑島高教授とともに活発に研究され131編の論文を発表,多くの人材を育成されました。生理学者であった橋田邦彦文部大臣の意向で本学に超短波研究所(後の応用電気研究所,現在の電子科学研究所)が設立されると昭和16〜18年には超短波の生理学的研究を嘱託され,昭和18年には超短波研究所の助手も兼任されました。ここで超短波の燐代謝に対する影響について研究され,超短波照射兎の血中無機燐の増加,その増加の波長依存性の発見など多大な成果を発表されました。戦争末期は物資欠乏でさらに厳しい条件となる一方,戦時医師増員の定員増に加えて臨時医専もでき生理学実習の準備と指導に忙殺されたと記されています。昭和20年敗戦となり昭和24年助教授に昇格されました。戦後の栄養不足を反映し,アミノ酸や蛋白質の研究,アミノ酸液の開発,人工血液の研究等を行いましたが,他方では,Tisellliusの電気泳動装置,Spincoの超遠心機を導入して蛋白質や血清lipoproteinについての最先端の研究もなされました。先端機器を稼動する研究組織は中央研究部として今日まで引き継がれています。昭和34年米国カリフォルニア州立大学に留学しアイソトープによりコレステロール生合成を研究され,世界で初めてmevalonic acid代謝酵素を精製されました。帰国後も動脈硬化の元となるコレステロール代謝の研究を進め,酢酸-1-14C,メバロン酸-2-14Cにより脱コレステロール剤の作用機作を研究されました。昭和42年歯学部へ移行後これらの研究に加えて唾液腺代謝の研究を開始され,種々条件下のコレステロール代謝について世界で未踏の研究を展開され,本学退官後も継続されました。このように先生は困難な時代を含め44年にわたる時代に沿う臨床代謝的研究から唾液腺代謝の基礎研究まで不屈の最先端的研究,さらに2つの新しい歯学部の創設と今日の医学歯学の輝かしい研究発展の基礎を築かれました。
 学会活動では,日本生理学会,北海道医学会,歯科基礎医学会,日本老年医学会,日本動脈硬化学会,日本腎臓学会の各評議員,日本放射性同位元素協会,日本生物物理学会,電気泳動学会,日本血液学会,日本肝臓学会,日本生化学会,日本臨床代謝学会,日本消化器病学会,日本ビタミン学会,I.A.C.D.国際歯科学士会,日本インプラント学会,日本口腔科学会,I.D.R.国際歯科研究学会の会員として活躍されました。昭和49年には第51回日本生理学会大会を当番幹事として藤森聞一,伊藤眞次両教授と主催されました。このような先生の御功績に対し,昭和61年11月勲三等旭日中綬章が授与されました。
 ここに謹んで先生の御冥福を心よりお祈り申し上げます。

(歯学研究科・歯学部)


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