訃報
名誉教授 柿本 七郎(かきもとしちろう) 氏(享年90歳)
名誉教授 柿本 七郎(かきもとしちろう) 氏(享年90歳)

 名誉教授 柿本七郎 氏は,平成16年5月22日急性肺炎のため御逝去されました。ここに先生の御功績を偲び謹んで哀悼の意を表します。
 先生は,大正3年5月21日,北海道に生まれ,昭和13年3月北海道帝国大学理学部を卒業,直ちに日本染料製造株式会社(現住友化学株式会社)技術部研究科に勤務されました。昭和14年11月北海道帝国大学理学部副手,同14年12月同助手,同17年9月同講師,同18年9月同助教授を経て,同26年6月北海道大学結核研究所教授に昇任,同43年4月同研究所長を併任されました。以後,昭和46年3月まで所長を務め研究所の運営と発展に尽力されました。特に,所長としての3年間は,我国の結核が著しく減少してきたのに比して免疫科学への関心と必要性が国の内外を問わず医学と生物学の分野で年ごとに高まってきたため,これに対応すべく結核研究所から免疫科学研究所への改組(昭和49年)の実現のための基礎作りに並々ならぬ努力をされました。また,この間,北海道大学評議員として大学の運営にも参画されました。
 昭和53年4月1日停年退官後は,同57年4月1日から同62年3月31日まで北海道武蔵女子短期大学教授として教育・研究に従事するとともに,同59年4月1日から同60年3月31日まで同短期大学図書館長として同大学の運営に参画されました。
 この間,先生は,昭和14年から同26年まで理学部化学科教官として,アイヌ民族が狩猟用に使用した矢尻りの毒性分であるトリカブト族アルカロイドの研究に従事されましたが,この研究は化学構造及び生理作用の基礎的研究と医薬品への利用などを考慮した北海道における特色ある研究として注目されました。当時,トリカブト属アルカロイドは毒性及びその化学構造の決定の困難さは,ストリキニーネ属アルカロイドとともに並び称されていましたが,先生は多くのトリカブト属アルカロイドを発見し,化学構造の決定をされました。その成果は,当時のアメリカの権威ある専門雑誌に発表され国際的にも高く評価されました。
 昭和26年6月北海道大学結核研究所に化学部門が新設されると同時に教授に就任し,結核化学療法剤の研究に従事されました。同研究は,化学と医学の境界領域にわたるもので抗結核剤の化学構造と,その抗菌作用に関するものであります。当時,結核は全世界において最も重要な難病の一つであり,ストレプトマイシンの発見によりその治療対策に光明を見いだされていましたが,一方でその生産や副作用の点で種々の問題があり,さらに第二の優秀な抗結核剤が必要とされていました。アメリカ及び西ドイツにおいて,イソニコチン酸ハイドラチット(略称INH)を第二の新薬として使い始め,抗結核剤としての効果が報告されたのに着目し,その合成を行い,薬理機構の研究を行いました。これらの研究は,医療技術等の伝達の遅い北海道医学界にINHによる治療の対策委員会を発足させるなど,北海道内の結核対策及び医療行政に多大な貢献をされました。また,抗結核剤は菌に対する親和性のある部分と菌を殺す部分とがあり,菌が耐性をもつということは,その後者に対して耐性を持つということであることを実験的に証明し,その独創的な理論をより発展させ,結核菌の染色法を発見されました。肺結核の診断に当たっては,患者の喀痰を特別な鶏卵培地に培養して,結核菌そのものを検出することが最も重要な極め手となっていましたが,結核化学療法剤の進歩によって,結核菌の微量排菌例や発育速度の遅い耐性結核菌を排出する者が増え,そのため,確実な診断ができない例が多くなっていました。先生は,結核菌がテトラゾ・リウム塩を還元して色素を産出する事実に着目し,理論的に結核化学療法剤を合成する途上5−(2−チェニル)−2,3−ジフェニル−2H−テトラゾーリウムクロリッド(略称STC)と5−(2−フロイル)−2,3−ジフェニル−2H−テトラゾ−リウムクロリッド(略称OTC)が,特に培養初期のヒト型結核菌を良く染色して可視化する事実を発見されました。すなわち,これらの色素を培養の初期に培養基に加えてやると,通常の場合より1〜2週間早く結核菌コロニーが美麗に染色されて肉眼的に検出でき,また,従来見落としていたものも検出できることを見出され,この方法は,我国の結核菌検査指針(日本公衆衛生協会編)に集録され,我国はもとより国際的にも広く使用され,世界の結核対策上極めて重要な発見となりました。この顕著な業績によって昭和49年度北海道科学技術賞を授与されました。また,抗結核剤の化学構造とその作用機序に関する研究は,国外においても高く評価され,昭和34年8月から同36年2月まで,西ドイツ国立ボルステル結核研究所(現生物医学研究所)に客員教授として招へいされ,数多くの抗結核剤に関する共同研究を行われました。昭和49年,再度招へいされるとともに,同研究所長フリーリフセン教授らを我国に迎え,抗結核剤の共同研究を行うなど,我国の学問の国際交流により早くから貢献されました。
 国内にあっては,日本化学会北海道支部長,日本化学会常議員,日本結核病学会北海道支部評議員を歴任され,専門分野の学会の発展にも尽力されました。
 以上のように,先生は,結核化学療法剤に優れた業績をあげ,また,国際学術交流並びに学会活動等に尽力し,我国の学術の進歩に医学,薬学,化学の分野において貢献されたのみならず,北海道大学,結核研究所及び免疫科学研究所の管理運営に尽力されました。このような先生の御功績に対し,昭和62年4月29日に勲2等瑞宝章が授与されました。
 ここに謹んで先生の御冥福を心よりお祈り申し上げます。

(遺伝子病制御研究所)


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