名誉教授 高橋萬右衞門氏は,平成16年6月5日午前2時2分,水沢市にて肺炎のため御逝去されました。ここに先生の御生前の御功績を偲び謹んで哀悼の意を表します。
先生は,昭和15年3月北海道帝国大学農学部農学科を卒業し,同年3月北海道帝国大学助手,同22年2月同大学助教授,同40年4月同大学教授として作物育種学講座担任となり,同56年4月停年退職し,同年4月北海道大学名誉教授の称号を授与されました。その後昭和56年4月北海道武蔵女子短期大学学長,同62年4月株式会社北海道グリーンバイオ研究所長,平成10年12月から平成12年3月まで北海道文教大学学長を勤められました。
この間,同氏は,永年にわたって植物育種学及び遺伝学の教育研究に努め,主に稲及びてん菜の遺伝・育種学的研究において数多くの研究成果を挙げられました。特に稲の遺伝学研究において,稲の花青素着色や形態形成に関する遺伝子の形質発現,生化学的作用を解明して,稲遺伝学の進展に大きく貢献し,「稲の花青素に不可欠なふ先色遺伝子の分析」により,昭和32年4月北海道大学から農学博士の学位を授与されました。また,稲の連鎖群に関する研究では,稲の半数染色体数の12に相当する連鎖群を世界で初めて確立し,それらを利用した育種技術の開発を行い耐冷性や耐病性の連鎖分析について顕著な研究成果を挙げられました。これらの業績に対して昭和37年4月日本育種学会賞,昭和40年5月日本学士院賞を授与されました。一方,てん菜の育種に関しては倍数性,雄性不稔性並びに単胚性の育種的利用の基礎を確立し,本邦農業技術の発展に寄与したのみならず,国際的にも高い評価を受けました。また,イネとダイズの細胞融合に成功して雑種カルスを作成し,世界の学会から注目を浴びました。その他,細胞融合や遺伝子工学を育種技術へ取り入れるための研究を発展させられ,昭和60年から文部省科学研究費,特定研究「植物育種の細胞・分子レベルにおける展開」の研究代表者として大型研究を主宰し,その研究成果は多方面に発表されて遺伝及び育種学の研究分野の発展および農業技術の向上に多大の貢献をなされました。これらの功績に対して,昭和57年10月北海道文化賞,平成4年9月には北海道開発功労賞(現北海道功労賞)が授与されました。
学内においては,遺伝学,植物育種学,農業教育法を講じ,学生の教育指導にあたり幾多の優れた人材を社会に送り出すと共に,農学部長,評議員,大学院農学研究科長,大学院委員会委員として大学の管理運営に参画し,各種制度の改革や整備を通じて大学の発展に貢献されました。学外においては,農林水産省の各農業試験場,北海道立の各農業試験場及び民間の育種研究所等から招かれて研究の企画や指導にあたるとともに,文部省の学術審議会専門委員,国立遺伝学研究所評議員,北海道種苗審議会会長等を歴任し,本邦の農業の発展,学術の振興に多大の貢献をなされました。また東南アジア各地からの要請により,昭和49年以降20年間に渡り各地の大学,研究所において講義・講演,技術指導にあたるなど,アジアの開発途上国の教育研究,農業問題解決にも大いに寄与されました。
停年退職後は,北海道武蔵女子短期大学長,北海道文教大学の学長を歴任し,私学振興に尽力するとともに,国際化時代に対応できる日本の農業確立に寄与する目的で産官出資により設立された株式会社北海道グリーンバイオ研究所の初代所長として,生物工学的手法を用いた新しい育種技術の開発や振興にも努められ,北海道のみならず日本の農業の発展に貢献されました。
学会活動においては,日本育種学会会長(昭和53年4月〜同57年3月),国際遺伝学会評議員(昭和53年4月〜同57年3月),アジア大洋州育種学連合評議員(昭和56年5月〜平成9年4月)の役職を歴任し,学術研究の推進および学術の国際交流に大きく寄与されました。
このような,同氏の功績に対し,昭和62年12月には日本学士院会員に選出され,平成元年4月29日勲二等旭日(きょくじつ)重光章を授与,平成7年11月3日文化功労者に推挙されるなど,その功績はまことに顕著でありました。
ここに謹んで先生の御冥福を心よりお祈り申し上げます。
(農学研究科・農学部)
|