名誉教授 大野陽朗氏は,平成17年2月18日,病気療養中のところ御逝去されました。ここに,御生前の御功績を偲び,謹んで哀悼の意を表します。
先生は,大正3年2月15日東京市に生まれ,昭和12年3月北海道帝国大学理学部物理学科を卒業,同年4月北海道帝国大学理学部助手に採用されました。その後,昭和13年5月海軍航空技術廠科学部実験員入業,同18年9月海軍技術大尉となりました。昭和22年6月北海道帝国大学応用電気研究所助手に採用され,同年9月同大学理学部講師嘱託,昭和23年4月理学部講師,昭和24年8月同大学助教授,昭和29年7月同大学教授に任ぜられ,昭和52年4月停年により退官し,同年4月北海道大学名誉教授の称号を授与されました。退官後は,昭和52年4月から札幌商科大学(のち札幌学院大学へ名称変更)教授となり,昭和61年3月まで文科系学生の自然科学教育に携われました。その後は,エネルギー問題を人類史的な視点で展開されるなど先駆的な研究をなされました。
大野陽朗先生は素粒子論,宇宙物理学の優れた研究者として我が国の学術の進歩に著しい貢献をするとともに,教育者として多数の後輩の育成につとめ,更には本学の発展,関連学会に寄与する等その功績は極めて大きなものでした。
大野先生は,昭和11年頃より梅田魁教授,朝永振一郎教授らと協力し,トーマス・フェルミ法を用いて軽原子核の結合エネルギーを求め,種々の軽原子核の質量偏差値の実験値から陽子・中性子間の相互作用ポテンシャルを決定する研究に取り組みました。その後海軍航空技術廠嘱託として航空機の力学的特性に関する流体力学的研究を行いました。戦後,再び理論物理学の研究にもどり,昭和25年頃から中間子の異常磁気能率の研究を行うとともに非局所場の研究を開始されました。その当時の素粒子論の最も主要な問題は,従来の理論では電子の質量などの理論値がすべて無限大になるという,いわゆる「発散」の困難をいかに解決するかということでした。この問題は量子電磁力学にあっては,朝永振一郎教授の超多時間理論によって解決されましたが,これはくりこみ可能な相互作用に関するものでした。くりこみ不可能な相互作用を含めて発散の困難を解決する理論的試みとして従来の局所場の理論から非局所場の理論への拡張が湯川秀樹教授らを含めて精力的に研究されはじめていました。大野先生は,非局所場において,局所場と同様にハミルトン形式が適用できるかという最も基本的な研究を行いました。ハミルトン形式が適用できるためには,対称なエネルギー運動量テンソルを如何に定義できるかが問題となり,ドイツのハイゼンベルグ教授,ボップ教授らも同様の問題に取り組んでいました。
大野先生は,一般相対論の手法を用いてハイゼンベルグ教授らの理論の不充分さを指摘し,極めて一般的に対称なエネルギー運動量テンソルを定義できることを示しました。このことは,非局所場の理論を構築する上で極めて重要な結論であり,国内外から高く評価されました。
その後,昭和33年頃より京都大学基礎物理学研究所を中心に,物理学の新たな分野として,物理学と天文学の境界領域である天体核現象の研究がはじめられましたが,大野先生は,いち早くこの研究分野に着目し,恒星内部構造論,恒星進化論の研究に着手しました。そして,恒星進化論上でも,更に恒星内部における元素形成,或(ある)いは宇宙線の起源に関連しても極めて重要であるが,当時,理論的研究はほとんど着手されていなかった超新星の爆発現象の研究を開始しました。質量の大きな恒星が進化して,内部崩壊を起こし重力エネルギーが解放されて衝撃波が発生し,その衝撃波は恒星中心から外部に向かって伝播(でんぱ)し,衝撃波とともに恒星の物質も超高速で膨張し恒星は爆発します。この現象を超新星爆発と呼び,これは典型的な非線型現象であり,当時,解析的方法による研究は困難と考えられていました。
大野先生は,まず,非均質媒質中における衝撃波の伝播法則を逐次近似法で求め,その結果を超新星の爆発に適用し,恒星の内部における衝撃波の伝播の様子を明らかにし,更にその爆発によって放出される質量等を求めました。その後同様の問題をアメリカのコルゲイト教授らが,大型電子計算機を用いて解析しましたが,その結果は大野先生の結果の正しいことを立証しました。ついで大野先生は非球対称な爆発,電磁流体力学的衝撃波の場合に理論を拡張し,それらの結果を種々の天体の爆発現象に適用し,多くの成果を得ました。これら一連の研究は天体爆発現象を流体力学的手法により解析する研究の草分け的研究であり,後の宇宙気体力学の進歩の先駆的研究と見なされています。このように大野先生は素粒子論,宇宙物理学と理論物理学の広汎(こうはん)な分野において多くの業績をあげられ,我が国の素粒子論,宇宙物理学の分野の発展に貢献しました。また,大学を退職した後は,エネルギー論を人類史的な視点で展開し,現在の地球環境問題に関する先駆的な研究会を組織され,その成果を著書にまとめられました。
大野先生は,学内にあっては,三十年の永きにわたり教養課程,理学部,理学研究科学生の教育・研究の指導に尽力し,同人の指導を受けた者は本学教授をはじめ,国内有数の大学において活躍中です。また,昭和38年6月より昭和42年5月まで評議員として,昭和45年12月より昭和47年3月まで学内の極めて困難な時期に北海道大学教養部長として同大学の枢機に参画し本学の発展に尽力した他(ほか),学外においては昭和41年4月より昭和43年3月まで,更に昭和49年4月より昭和51年にわたり,日本天文学会評議員として学会の発展に寄与されました。
大野先生は,明るく気さくなお人柄で研究者をとわず多くの方々と交流され,社会的にも大変幅広く活躍されました。それが,科学史に関するユニークな視点のシリーズの本を監修されたり,エネルギー問題に取り組まれるなど専門を越えた分野での先生のご活躍を生んだと拝察されます。
ここに謹んで先生のご冥福をお祈り申し上げます。
(理学研究科・理学部)
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