名誉教授 菅原照雄氏は,1年前より病気療養中のところ,平成17年7月23日午前8時12分,北海道社会保険病院にて御逝去されました。ここに先生の御生前の功績を偲び謹んで哀悼の意を表します。
先生は,昭和2年6月15日北海道中川郡で生まれ,昭和25年3月北海道大学工学部土木工学科を卒業され,北海道大学工学研究科特別研究生を経て,昭和27年3月16日北海道大学工学部講師に採用されました。その後昭和28年12月16日北海道大学工学部助教授,昭和40年4月1日北海道大学工学部教授にそれぞれ昇任され,26年間にわたって道路工学講座を担当されました。
先生は,この間,常に厳しい姿勢で教育,研究にあたられ,多くの有能な人材を世に送り出されております。研究活動の面では,道路工学,道路材料学,航空工学などの分野で多くの研究業績をあげると同時に,研究成果の実社会への反映に尽力され,わが国ならびに北海道における道路を始めとする社会基盤の整備に多大な功績を残されました。
道路舗装の研究にあっては,当時体系化が不十分であったアスファルト舗装について,材料ならびに構造に関する活発な研究を通じて,中心的推進者の一人としてその学問の体系化をはかり,わが国におけるアスファルト舗装の新しい研究分野を確立されました。研究主題はアスファルト混合物の力学的性状であり,その低温性状,破壊のレオロジー挙動,動的特性と疲労破壊,流動抵抗性などについて研究を行い,国の内外において数多くの研究論文を公表し,国際的にも高い評価を受けられました。これらの研究により昭和36年北海道大学から工学博士の学位を授与されました。
また,昭和30年代半ばには,当時利用が不可能とされていたパラフィン系の中東原油から製造したアスファルトの性質を詳細に検討し,そのアスファルトでも従来のナフテン系の原油から製造したアスファルトと同じようにアスファルト舗装に利用できることを明らかにしました。この功績により昭和38年に石油学会から石油学会賞を受賞されました。また従来のアスファルトではわだち掘れが生じ易(やす)いことを考え,この対策をはかるべくアスファルトの品質改良のための研究を進め,特に合成ゴムラテックスをプラントでアスファルトに混合するいわゆるプラントミックス工法の開発を進め,基礎研究から施工研究に至るまで,一貫した技術開発を推進し,その普及に尽力されました。これらの一連の舗装材料の研究に対して,昭和62年に日本アスファルト協会功労賞を受賞されました。
アスファルト舗装の低温時に発生する温度応力により横断方向に規則的に生ずる亀裂(きれつ)がもたらす舗装の破壊現象については,早くから問題の重大さを指摘し,自ら全道調査を行ってその解析を行う一方,アスファルト混合物の低温時の力学性質に関する研究を進めました。この研究において開発した研究システムは,諸外国の注目するところとなり,当時アメリカで進行中の戦略的道路研究計画(SHRP計画)において,新たな実験方法の1つとしてとして採用されるところとなりました。
空港の滑走路の舗装に関する研究にあっては,土木学会を中心とする各種の委員会活動を通じて研究を推進されるとともに,研究者の養成に尽力されました。初期のわが国の空港建設にあたっては,大阪,羽田,成田,千歳等の国際級の空港について,自ら調査研究を行うと同時に夏季に発生するアスファルト舗装表面の膨れ,すなわちブリスタリング現象の解明に尽力されました。水利工構造物へのアスファルトの利用に関する分野では,当初からアスファルト遮水壁工法の研究に従事され,各種の水利構造物,フィルダムなどへの利用において,わが国で建設された大規模施設のほぼ全てについて研究を指導されました。さらにこれらに関しては,数次にわたって訪中,技術移転にも功績を残しておられます。
以上に加え,寒冷地における道路の諸問題について社会的要請に応ずべく,ロードヒーティング工法の開発,雪さっぽろ二十一計画の策定などに貢献されました。また,早くからスパイクタイヤ問題が,積雪都市の課題になることを予測して研究を進め,環境庁の自動車タイヤによる粉じん等対策検討会座長,札幌市スパイクタイヤ問題対策審議会会長などとして,対策研究の推進をはかるなど大きな功績を残されております。
これらの一連の学術研究ならびに地域社会への貢献に対し平成元年度北海道科学技術賞が授与されました。
また,土木学会,日本道路協会,石油学会,国際アスファルト舗装構造設計会議,寒冷地技術国際シンポジウムなど多くの国内外の学協会の役員を歴任される一方,諸官公庁の審議会,委員会の会長,委員などの要職に就かれました。
さらに,昭和63年から平成3年に至るまで,日本学術会議第五部会員として活躍され,特に人間活動と地球環境特別委員会委員として,IGBPを始めとするわが国の地球環境研究の推進に尽力されました。
学内にあっては,永年にわたって各種委員会の委員として,また,昭和50年6月から4年10か月にわたり学生部長,評議員として,大学運営の枢機に参画され,北海道大学並びに工学部の発展に寄与されました。
ここに,謹んで先生の御冥福を心よりお祈り申し上げます。
(工学研究科・工学部)
|