名誉教授 棚井 敏雅氏は,東京都にて病気療養中のところ平成18年2月25日午前6時52分にご逝去されました。ここに先生のご生前のご功績を偲び謹んで哀悼の意を表します。
先生は昭和21年9月東京帝国大学理学部地質学科を卒業し,昭和22年9月に東京帝国大学理学部副手,昭和24年6月に東京大学理学部助手,昭和26年10月から通商産業省工業技術庁地質調査所通商産業技官を経て,昭和31年4月北海道大学理学部助教授として本学に着任,昭和47年8月に教授に昇任しました。この間,昭和36年2月には「本邦の新第三紀植物群の変遷(英文)」により,東京大学より理学博士の学位を授与されました。昭和62年3月に停年退官し,同年4月に北海道大学名誉教授の称号を授与されました。ご退官後にも静岡大学と横浜国立大学の非常勤講師を務められたほか,平成元年4月から平成4年3月まで国立科学博物館の客員研究員を務められています。
先生は本学理学部の燃料地質学講座を主宰し,石炭地質学と古植物学の教育,研究に務め,多数の優秀な地質学者,地質技術者を育ててきました。特に石炭や植物化石を來在する白亜紀,第三紀の地層について研究を展開され,古植物学はもちろん,日本の炭田開発にも多大な貢献をなされました。先生は同時代の被子植物化石について多数の研究論文を発表され,293種におよぶ新種の提唱を行っています。東アジアおよび北アメリカのカエデ属化石についての葉微細脈の比較形態学に基づいた系統進化と分布変遷の解明や,ブナ科植物化石に注目した東アジアにおける現世湿帯森林の起源と発達に関する研究は系統進化と植物地理を融合させた研究として国内外で高く評価されています。日本のとくに中新世と鮮新世(2300−180万年前)における植物変遷と気候変遷に関する研究でも顕著な成果を残されています。昭和41年1月には東宮御所にて,皇太子殿下(現,平成天皇)に「第三紀植物群の変遷史」についてご進講されました。昭和54年1月には先生の古植物学への多大な貢献に対し,日本古生物学会より学術賞が授与されました。
学内では大学院委員会委員をはじめとして,公開講座委員会,在外研究員候補者選考委員会,放送教育調査委員会,図書委員会などの各種委員を歴任し本学の発展に大きく貢献しました。学外にあっては,東京大学,京都大学,東北大学,九州大学,筑波大学他,多くの大学において非常勤講師を務めています。また,文部省学術審議会専門委員,日本学術会議古生物学研究連絡委員会委員,通産省炭田探査審議会,同石炭鉱業審議会,同鉱業審議会,同石油審議会の各委員として貢献されました。札幌鉱山監督局深部保安技術検討部会委員,新エネルギー開発機構石炭資源開発基礎調査委員会委員,北海道開発庁地下資源調査員,北海道業振興委員会総合開発委員会などの各種委員を務めています。この間,昭和61年5月には,新エネルギー開発機構の日中石炭共同探査調査団の団長として,中華人民共和国中部地域において炭田開発的確地域の調査選定に携わるなど,国内外の石炭鉱業の振興と地域社会の発展にも大きな貢献をされています。
学会にあっては,日本古生物学会,日本鉱山地質学会,東京地学協会の評議員を歴任し,昭和57年2月から日本鉱山地質学会北海道支部長を,昭和60年2月から日本古生物学会会長をそれぞれ2年間歴任しました。国際的にも,昭和54年1月から61年1月まで,ユネスコ国際生物科学連合(IUBS)の傘下にある国際古植物学研究機構(IOP)の日本代表を務め,昭和43年6月から平成8年5月までの28年間にわたって,Elsevier社の国際学術誌Review
of Paleobotany and Palynologyの編集委員として古植物学の発展に貢献されました。
以上のように,先生は永年にわたり,学術研究,後進の育成,日本のエネルギー開発,地域社会の発展,そして学内行政に多大な貢献をなされており,その功績はまことに顕著です。このような先生のご功績に対し平成12年には勳三等旭日中綬章が授与されました。
ここに謹んで先生のご冥福を心からお祈り申し上げます。
(理学研究科・理学部)
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