寄稿

理事・副学長退任にあたって

函館市公営企業管理者 病院局長 井 上 芳 郎

函館市公営企業管理者 病院局長 井 上 芳 郎

 平成18年3月31日をもって北海道大学を退職いたしました。昭和53年11月に北海道大学教授として医学部解剖学第一講座を担当して以来,27年5月にわたり北海道大学に勤務いたしました。退職前の9年ほどは医学部長・医学研究科長として4年,その後,中村睦男総長の下で副学長として4年11月,また,法人化後1年11月を理事として北海道大学の運営に関わってきました。今回,任期半ばで総長のご厚意もあって,故郷の函館市に帰ることができました。その任務の深刻さは別としまして,深く感謝しております。
 医学部長に選出される前の20年弱の間は解剖学実習を中心とした解剖学教育と研究分野である神経解剖学を学生や教室員ともに学び研究する楽しい学究生活でした。教授就任当時は解剖学実習に必要なご遺体がまったく確保できておらず,道内の関係機関に協力をお願いするために,道央,道南,道東の各地を巡る日々も今は懐かしい思い出です。現在は,一般市民の医学教育に対するご理解で,献体によって解剖学実習が充実して行われていることに感無量のものがあります。私は北大の出身でありませんでしたので,医学部の伝統からいって医学部長になることはないという前提で教授生活を組み立てておりましたので,平成9年の教授会の決定はまさに晴天の霹靂(へきれき)のような事件でした。就任後は大学院重点化をすすめ,保健学科改組や新棟の建設,学生のための施設の整備など様々な課題がありましたが,その道筋は敷いたと思っております。
 平成13年に中村睦男総長が選出され,副学長就任の要請があったときはお受けすることにためらうものがありましたが,総長には医学部長時代に医の倫理委員会の委員として生体肝移植や遺伝子治療などの難しい問題の審議の際,積極的な支持をいただいた事,総長の副学長時代の誠実な教育活動の運営など思い起こし,お手伝いすることにしました。以後,副学長・附属図書館長として3年,理事・副学長・附属図書館長として1年,理事・副学長として11月勤めることになりました。この間,国立大学法人化の準備,そして国立大学法人への移行など,国立大学にとって歴史的大改革の時期にめぐり合って,運営に参画できたことは幸運であったと思っております。今,この5年ほどの間に行ってきたことは,その成果の是非は別として,細かいことは思い出せないほど多くの課題に取り組んできたと思います。大学院改組(学院・研究院構想),公共政策大学院の設置と図書館の改修,観光学を巡る組織の検討,図書館が扱う電子情報(電子ジャーナルと電子データベース)の全学共用化,教員人件費の削減策と全学運用教員枠の拡大,学校教育法の改正に伴う教員制度の改革,技術職員のあり方,教員の役員兼業と利益相反の問題,男女共同参画の推進,はたまた,懲戒審査会などなど。これらの問題の解決策立案には職員の強い支援があったことを十分に認識しており,感謝しております。
 最後の教育研究評議会で「井上さんはこの会議でも打たれ強いから・・・」という発言がありましたが,決して,打たれ強くはなく,ただ,皆さんの発言を真摯(しんし)に受け止めて聞いていたこと,そして,同時に発言している方のものの考え方や心の状況を想像しながら楽しんでおりました。北海道大学の教職員の皆様方には大変大切にされたことに感謝申し上げ,北海道大学のさらなる発展を祈念して,退任の挨拶(あいさつ)にいたします。


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