北海道大学の札幌キャンパスは,石狩湾までひろがる広大な沖積平野の南端に位置しています。沖積平野とは,河川で運ばれてきた莫大(ばくだい)な土砂の堆積(たいせき)によって作り出された低平な地形のことです。北大キャンパス内の地表面を細かく観察してみると,しかしながら,平坦(へいたん)な地形の所々に僅(わず)かながらの起伏があることがわかります。植物園内,あるいは中央ローンから百年記念交流会館,弓道場,大野池にかけての一帯には,窪(くぼ)んだ谷状の地形がのびていることが確認できるでしょう。こうした谷状の地形は,かつて偕楽園周辺の湧水(ゆうすい)地を水源とし,キャンパス内を蛇行しながら北流して石狩川に注いでいた,「サクシュコトニ川」の浸食によって生み出されたものです。
このサクシュコトニ川,あるいはその支流沿いの微高地からは,これまで実施されてきた発掘調査によって,擦文(さつもん)文化や続縄文文化に属する,今から千年〜二千年前の集落が数多く確認されてきました。一方,河川から距離が離れると,遺跡の発見は少なくなります。河川の位置と発見される遺跡の位置との間に認められるこうした関係は,当時の人々が営んでいた活動のあり方を理解していくうえで,きわめて重要な傾向です。
人文・社会科学総合教育研究棟の1Fロビーには,発掘の際に掘り出された地層の剥(は)ぎ取り展示があります。展示で見ることができるバームクーヘン状の何枚もの重なる地層は,サクシュコトニ川の氾濫(はんらん)によって運ばれてきた堆積物と考えられます。2千年の間に2〜3mもの土砂を堆積させていることからみても,この河川は,高い頻度で氾濫を繰り返していたことがうかがえます。
河川が氾濫を繰り返していたにもかかわらず,続縄文文化や擦文文化の人々は,そのすぐそばに集落を設けていました。彼らが対象とした様々な資源の獲得・利用の場として,またそこに織り込まれた様々な社会関係を成り立たせる舞台として,河川とその周囲の景観は,大きな意味をもっていたのでしょう。北大キャンパスの地下には,人間が残した遺物(土器や石器など)や遺構(竪穴(たてあな)住居址(し)や墓坑址など)だけでなく,集落を取り巻いていたかつての景観を再構成するのに必要な地形,植生,動物相などに関する様々な情報もまた豊富に保存されています。それらを対象とした関連諸科学間における学際的な調査研究によって,自然の景観と密接に結びついた人間の営みが徐々に明らかとなってきました。 |
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弓道場脇のサクシュコトニ川
中央食堂むかいの弓道場の周辺は,北大のキャンパス内でもかつての地形をよくとどめている場所であり,周囲には擦文文化や続縄文文化の遺物・遺構出土地点が点在している。
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(埋蔵文化財調査室) |
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