名誉教授 灰谷慶三氏は,平成18年7月6日急性肺炎のため札幌市禎心会病院にて逝去されました。ここに,先生の生前の功績を偲(しの)び,謹んで哀悼の意を表します。
灰谷慶三先生は昭和11年10月10日函館市に生まれ,昭和36年3月北海道大学文学部文学科を卒業され,その後,東京大学教養学部助手を経て,昭和45年6月北海道大学文学部助教授として赴任されました。平成2年2月に教授となられ,平成12年3月に停年により退官,同年4月に名誉教授となられました。この間先生は平成6年4月から平成10年3月まで北海道大学評議員,平成8年4月から平成10年3月まで北海道大学文学部長を務められ,折からの懸案であった大学院重点化や古河講堂「旧標本庫」人骨問題などの解決に取り組まれました。また昭和61年から平成7年にかけてスラブ研究センター運営委員会委員・協議員も務められました。
北海道大学退官後は北海道大学(全学教育における一般教育演習),札幌大学で講師を務め,引き続き教育・研究に当たってこられました。
灰谷先生は北海道大学赴任以来30年の長きにわたり文学部の教育・研究に専心されました。文学部においてはロシア文学史概説,ロシア文学演習,スラブ語学等,大学院文学研究科においてはロシア文学演習,ロシア語ロシア文学特殊講義等,更に教育学部開講のロシア語科教育法等を担当され,その薫陶のもと多くの学生・大学院生を世に送り出しました。
先生はゴーゴリを中心に主にロシアロマン主義文学を研究されましたが,その射程は奥深く,ゴーゴリの影響の及ぶ20世紀のいわゆる装飾的散文の作家たちにまで目配りされた幅広く総合的なものでした。先生は,恩師であり北大露文の初代教官であった木村彰一先生譲りの実証的なスラブ文献学を継承しつつ,1960年代にようやく日本に紹介されはじめたロシアフォルマリズムの理論と研究方法を取り入れ,それをふまえた緻密なテキスト分析に基づいて,主としてゴーゴリ作品をさまざまな角度から分析され,その研究は高い評価を受け後進に影響を与えました。こうした研究のかたわらロシア文学の普及にも熱心に取り組まれ『ネフスキイ通り』『鼻』『外套(がいとう)』『狂人日記』『評論』などのゴーゴリ作品や『オブローモフ』(ゴンチャローフ)など19世紀の古典文学を翻訳され,『第五の悪』『ロシアの地,滅亡の物語』(レーミゾフ),『悲劇の本質について』(V.
イワノフ)など日本でこれまで訳されたことがない20世紀の作品を翻訳・紹介されました。また『入門ロシア語』(昭和46年)を執筆され,『ロシア語基本語辞典』(昭和44年),『ロシア語ミニ辞典』(平成9年)の編纂(へんさん)にも参画されるなどロシア語学習の普及と発展に果たされた功績も多大なものがありました。
学外においては日本ロシア文学会評議員,理事,北海道支部長を務め学会の活動と発展に寄与されました。昭和62年には北海道ポーランド文化協会設立に尽力され運営委員,会長の任に当たられ,その他,財団法人北方博物館交流協会理事も務められるなどロシアだけではなく他の国との文化交流にも多くの貢献をされました。
このように灰谷先生の研究・教育活動は40年にわたり,北海道及び日本におけるロシア文学研究,ロシア語教育において大きな足跡を残されました。これまでの研究・教育並びに社会に対し先生がなされた多大の貢献を思うと,その死はあまりに早く,痛恨の念を禁じ得ません。ここに灰谷慶三先生のご冥福をこころよりお祈り申し上げます。
(文学研究科・文学部)
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