北大キャンパス内の遺跡  

擦文文化の農耕
−北大構内サクシュコトニ川遺跡での研究−

 考古学の研究対象は,かつての人たちが作り,使っていた道具類,たとえば土器や石器,鉄器,あるいは住んでいた家や遺骸が葬られた墓だけにとどまらず,ゴミ捨て場から見つかる動物の骨や植物の種子にまで及びます。このような食べ残しは,当時の人々が,何を,どれくらい,どのように調理して食べていたのかを知るうえで,たいへん貴重な資料です。こうした資料を対象とする研究は,動物考古学あるいは植物考古学とよばれ,ここ20〜30年のあいだで目覚しい発展をとげてきました。
 7〜12世紀頃に北海道に展開した擦文文化に関しても,動物考古学や植物考古学の観点から,これまで多くの成果があげられています。そうした研究の契機となったのは,昭和56〜57(1981〜1982)年に実施された,北大キャンパス内のサクシュコトニ川遺跡(K39遺跡恵迪寮地点)の発掘調査によってでした。

 サクシュコトニ川遺跡は,擦文文化の中頃に形成された集落址で,竪穴住居址が5基見つかっています。竪穴住居址内のカマド周辺や住居址外の数箇所からは,数ミリ前後の大きさの炭が集中している場所が確認されました。そうした場所の土のなかには,水洗浮遊選別法(写真)という方法で丹念に調べてみると,1〜2mm程度の大きさの植物種子が含まれていたのです。
 遺跡から検出された種子はいずれも炭化していました。そのため幸いにも腐食せず,遺存したと考えられます。カマド周辺からこうした炭化種子が数多く確認されるのは,調理の過程で種子がカマド内に落ちこみ,被熱したということなのでしょうか。顕微鏡でその形態を観察してみた結果,これらの種子は,コムギ,オオムギ,ヒエ,アワ,キビなどの穀類であることが判明しました。

 このサクシュコトニ川遺跡での発掘以降,擦文文化における穀物種子の研究が,本格的に開始されました。道内各地の遺跡発掘でも,同様の調査方法が取り入れられ,擦文文化の集落遺跡から穀物の炭化種子が出土するのは,ごく一般的であることがわかってきたのです。
 こうした穀物種子は,さまざまな遺跡から多量に出土しているため,道内各地で栽培されていた可能性が高いと思われます。擦文文化では,狩猟や漁労だけでなく,農耕によっても食料を得ていたことがわかったのです。この調査成果は,河川や海での漁労活動だけが強調される傾向が強かった,それまでの擦文文化のイメージを塗り替えることに結びつきました。

遺跡から回収した土を水にいれると,乾燥した炭化物は,水より比重が軽いため浮遊する。そのうわづみをアミで濾過し,微細な種子の有無を確認する。 サクシュコトニ川遺跡から出土した炭化したオオムギ
遺跡から回収した土を水にいれると,乾燥した炭化物は, 水より比重が軽いため浮遊する。そのうわづみをアミで濾過し,微細な種子の有無を確認する。 サクシュコトニ川遺跡から出土した炭化したオオムギ
(埋蔵文化財調査室)

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