教育学研究科教授 椎名恆氏は,病気加療中のところ,平成18年10月31日(火)ご逝去されました。ここに先生の生前の御功績を偲び,謹んで哀悼の意を表します。
先生は,昭和22年8月27日兵庫県に生まれ,昭和51年3月に東京都立大学人文学部を卒業されました。その後,昭和51年6月から昭和61年4月まで東京都品川区職員(主事),昭和61年5月から平成5年11月までかながわ総合科学研究所常勤研究員,平成5年12月から平成8年3月まで建設政策研究所専務理事・主任研究員を経て平成8年4月に北海道大学教育学部に助教授として就任されました。平成17年4月には教育学研究科教授に昇任され,全学教育においては一般教育演習,教育学部・教育学研究科においては職業能力開発論,労働問題をはじめ産業教育関連の学部・大学院科目・演習を担当され,多くの学生,大学院生の教育・研究指導に当たられました。また,平成15・16年度には本学の学生委員会委員を務められました。
先生は,わが国における建設労働研究のリーダー的存在でありました。また,本学赴任以来,建設労働と密接な関係を持ちながらも相対的に異なる,季節労働者,ホームレス,総じて不安定就労の北海道的特性に関する「実践的」研究に着手されました。
先生の建設労働研究の特色は,建設産業に固有な内部構造及び政財界という外部との関連において問題をマクロに把握し,建設業の産業秩序,労資関係,技術発展過程,建設市場,下請雇用構造との関連において建設労働の全体像を明らかにしたという点にあります。とりわけ90年代以降のバブル崩壊と公共事業の変動がもたらしたゼネコンの経営危機とその克服策の分析は今日見てもなお意義深いものがあります。先生は,建設産業固有の重層性や就業構造の多様性を業種・職種・階層ごとに詳細に明らかにし,そこから浮かび上がる建設産業固有の問題を労働組合運動の課題として析出することに成功されました。
本学赴任以降,先生は北海道の季節労働者とホームレスを主要な対象に不安定就業問題にまでその守備範囲を広げられました。その特徴は,従来山谷・寿町・釜ヶ崎など大都市における「寄せ場」の問題として把握されていた問題を,それまでその実態が充分に明らかになっていなかった北海道固有の特徴を持つ問題−季節性,供給源,資本蓄積の脆弱(ぜいじゃく)性−として再構成することに成功されたことです。先生はよく学生,院生たちとともに全道各地の職業安定所に出かけられ,職業安定所を訪れる求職者を対象とした出口調査を行われました。調査の中で先生は,通常「自己都合退職」として本人の問題に帰せられがちな離転職の内実を問い,失業が長期化するプロセスを明らかにされました。さらに先生は,失業状態と就労状態のはざまにいる人々が抱える諸困難を調査する中で,不安定な就労状態からホームレス(野宿者)へと至るプロセスを明らかにされました。こうしたインテンシブな調査によって明らかになりつつある知見を生かして,求職意欲を持たないとされる「非労働力」と「失業状態」の境界について問題提起を行い,「失業」の統計的な再吟味を行われました。
以上の調査の多くは,先生が担当された一般教育演習や産業教育調査実習における学生や院生とのかかわりの中で実践的に行われました。また,先生や先生の問題意識に触発された学生を中心に「北海道の労働と福祉を考える会」を発足させ,ホームレスの支援活動にも積極的に取り組まれました。
先生が倒れられたのは,研究・教育・実践的活動がまさに軌道に乗ってきたときでした。志半ばで逝かれた先生の無念は想像に難しくありません。また,優れた研究者,教育者,実践家としての先生を失った損失は計り知れないものがあります。ここに先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
(教育学研究科・教育学部) |