北大キャンパス内の遺跡  

ポプラ並木東から出土した続縄文文化の墓とその副葬品

 昭和59年,ポプラ並木の近くで,北海道大学埋蔵文化財調査室により発掘調査が実施されました(K39遺跡ポプラ並木東地点)。
 この地点からは,続縄文文化の人々によって地面に掘り込まれた穴(土坑)が7つ,その周辺には火を焚(た)いた址(あと)が2つ発見されました。掘り込まれた穴の大きさは,平均で直径1mほど,深さも同じく1mほどです。
 これらの掘り込まれた穴からは,続縄文文化の後葉にあたる,およそ5世紀頃(ごろ)の土器や石器とともに,ガラスや滑石を材料とした玉製品が底からまとまって出土してきました。ガラス製のものは直径1cmほど,滑石製のものは直径2mmほどです。それぞれの中央には紐(ひも)を通すための孔(あな)があります。そのため,これらの玉製品は,装身具として,おそらくは首飾りとして用いられていたものと考えられます。
 地面に掘り込まれたこれらの穴からは,人骨は出土しませんでしたが,装身具の出土状態からみて,首飾りを身につけた死者が葬られていた墓であったと思われます。こうした墓が複数発見されたポプラ並木東地点は,続縄文文化の人々の墓域となっていた場所だったのでしょう。

 ポプラ並木東地点に墓域が形成された頃,本州には古墳文化がひろがっていました。古墳文化の頃の本州では,古墳に副葬するためにガラス製の玉が多く製作されています。道内からそうしたガラス製の玉が発見されることは稀(まれ)であるため,ポプラ並木東地点の出土資料は,道内ではなく本州で製作されたのがもたらされたものと推定されます。
 当時,鉄器をはじめとするさまざまな物資が,北海道と本州とのあいだで流通していたと考えられています。しかし,鉄器の多くは腐食してしまい,遺跡には残されません。石器の減少などから間接的にその存在を推定できるにすぎません。そうしたなかでこのガラス玉は,北海道における続縄文文化の頃の人々と,本州の古墳文化の頃の人々との交流を物語る貴重な資料といえましょう。

ポプラ並木東地点の全景 手前に発掘地点,奥にポプラ並木 ポプラ並木東地点出土の玉製品 左がガラス製,右が滑石製
ポプラ並木東地点の全景
手前に発掘地点,奥にポプラ並木
ポプラ並木東地点出土の玉製品
左がガラス製,右が滑石製
(埋蔵文化財調査室)

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