名誉教授 緋田研爾氏は,平成18年12月11日多臓器不全のためご逝去されました。ここに,先生のご生前のご功績を偲(しの)び,謹んで哀悼の意を表します。
先生は昭和3年11月25日東京都にお生まれになり,昭和28年3月名古屋大学理学部生物学科を卒業され,引き続き名古屋大学大学院に進まれ,昭和32年5月名古屋大学理学部助手,昭和48年6月同助教授を経て,昭和56年6月北海道大学理学部附属厚岸臨海実験所教授として本学に着任されました。この間,昭和36年9月には「ウニ卵の受精酸発生に関する研究」により名古屋大学より理学博士の学位を授与されました。平成4年3月停年により退官され,同年4月北海道大学名誉教授の称号を授与されました。この間,昭和57年4月から平成4年3月まで理学部附属厚岸臨海実験所所長を兼務されました。ご退官後は関東学院大学において非常勤講師を勤められました。
先生は,この間,動物学,とりわけ動物発生学の研究と教育に努められ,また,北海道大学大学院理学研究科の担当教官として大学院生の教育と研究指導に尽力されました。
先生は,一貫してウニを研究材料とされ,その受精機構の解明において大きな業績をあげられました。初期の研究においては,卵の酸素活性の測定方法の改良を試みられ,それまでは分からなかった受精直後のウニ卵の糖代謝の変動を初めて捕らえられました。先生はまた,受精の研究において「精子の卵への結合」という概念を導入されました。当時は,受精の研究と言えば,受精した時の卵の表層変化とか,人工的付活とか,精子の変化等が論じられており,両者の相互作用は顧みられていませんでしたが,先生は,受精における種の識別の問題も含めて,細胞間相互作用の一つとしての受精の研究に焦点を当てられ,精子の結合という段階が存在することを主張されました。そして,世界で初めて卵に存在する「精子結合因子」を分離,精製することに成功されました。さらに,精子の結合の座として卵の卵膜の重要性を指摘されました。この考えは,当時としては常識を覆すものでした。
先生は,その後,さらに受精時に精子におこる変化の機構についてウニを材料にして研究を展開され,受精時に精子の先端部分で起こる必須(ひっす)の反応である先体反応では,精子表面に存在するある種の糖タンパク質がイオンの流れ(Caイオンの流入とHイオンの放出)の調節に重要な役割を担っていることを示されました。さらにまた,平成3年には精子から分子量70万の高分子量プロテアーゼ(タンパク分解酵素)をウニを材料にして世界で初めて精製され,プロテアーゼの特異的阻害剤を用いた実験結果とあわせて,高分子量多機能プロテアーゼ複合体(=プロテアソーム)のキモトリプシン様活性がウニの精子先体反応誘起に関与する可能性を示され,精子におけるプロテアソーム研究の先鞭(せんべん)をつけられました。
先生は,教育面では,北海道大学理学部動物学科の学生に対し,受精の生物学について特別講義されると共に,厚岸臨海実験所における海産動物発生生化学の臨海実習を担当されました。さらに,全国の大学生を対象にした単位互換の公開臨海実習を厚岸臨海実験所においても海洋発生生化学実習として開始され,その発展に尽力されました。また,管理運営面では,厚岸臨海実験所の所長として,実験所本館の改修,附属博物館改築,各種実験機器の充実に多大な努力を払われました。
学外にあっては,日本動物学会北海道支部委員,日伊生物学会運営委員,道東バイオ研究会会長,Molecular Reproduction
& Development(U.S.A)誌の編集委員などを務められ,国内外の学術研究に多大の貢献をされる一方,厚岸町観光審議会委員,厚岸町水質汚濁防止協議会委員として地域の発展にも貢献されました。
以上のように,緋田先生は動物発生学とりわけ受精の分野の研究において優れた業績を上げられ,学術の進展に大きな足跡を残されたのみならず,教育上の発展と臨海実験所の管理運営,地域の発展にも大きく貢献されました。
ここに緋田研爾先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
(理学院・理学研究院・理学部,北方生物圏フィールド科学センター)
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