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北海道大学のキャンパス内で発見される古代の遺跡には,擦文文化の恵迪寮地点(サクシュコトニ川遺跡)や続縄文文化前半の人文・社会科学総合教育研究棟地点のように,竪穴住居址(たてあなじゅうきょし)やその他の諸施設の痕跡(こんせき)がまとまって検出される集落址があります。一般的にそうした集落址からは,多量の遺構・遺物が検出され,その空間的ひろがりも大規模なものとなる傾向があります。
そうした集落址のほかに,北大キャンパス内からは,相対的に短期の利用がなされていたにすぎないキャンプ・サイトも多く発見されています。キャンプ・サイトは,遺構・遺物の検出量が少なく,またその空間的ひろがりも小規模なものにとどまる傾向があります。そのため,遺跡としては出土資料が豊富な集落址の発掘に目が奪われがちですが,しかしながら,キャンプ・サイトもまた古代の人々にとっては様々な活動場所のなかの重要な一部であり,その生活を体系的に復元していくためには,キャンプ・サイトの調査から得られる情報も必要不可欠なものとなります。
高等教育機能開発総合センター前の学生部体育館,あるいは第二農場に面する創成科学研究棟南側道路の建設に先立って実施された発掘調査からは,続縄文文化後半(3〜7世紀)の遺構・遺物がみつかりました。
両地点は,いずれも小河川沿いの微高地に立地し,数mの範囲内からのみ遺構・遺物の出土が確認されています。遺構としては焚(た)き火(び)の址(あと)(炉址)が数基検出されているだけで,竪穴住居址は確認されていません。焚き火址(炉址)からは,おもに焼けたサケ科の椎骨(ついこつ)の破片が出土しました。そのまわりには,煮炊きに使っていたと思われる深鉢や注口土器(注ぎ口が片側についているもの)が,ほぼ完全な形を保って残されていました。
こうした遺構・遺物の出土状況からみて,両地点は,続縄文文化の人々が短期的に利用したキャンプ・サイトであったと思われます。サケ科の椎骨が多く出土していることから,漁労活動にかかわる季節的な利用がなされていた場所であった可能性が想定されます。キャンプ・サイトとして利用されていた個々の地点での活動内容を明らかにし,その相互をつなぎあわせていけば,続縄文文化の人々の行動の軌跡がより詳しく明らかにされることでしょう。 |
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学生部体育館地点出土土器
続縄文文化後半の注口土器 |
学生部体育館地点における土器の出土状況
完全な形に復元できる1個体が潰れて出土した |
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(埋蔵文化財調査室) |
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