訃報

名誉教授 中島なかじま 敏夫としお 氏(享年87歳)

名誉教授 中島 敏夫(なかじま としお)氏(享年87歳)

 名誉教授 中島敏夫氏は平成19年12月12日に逝去されました。ここに,先生の生前のご功績を偲び,謹んで哀悼の意を表します。
 先生は,大正9年9月6日に北海道に生まれ,昭和20年9月北海道帝国大学農学部農業生物学科を卒業し,同年10月から同22年10月まで大学院特別研究生に進み,昭和25年10月北海道大学農学部助手,同34年4月同講師,同36年4月同助教授,同47年5月同教授に昇任し,農学部農業生物学科昆虫学講座担任となりました。その後,昭和52年4月から同55年7月まで,北海道大学大学院環境科学研究科教授に併任されました。昭和54年同大学農学部農業生物学科蚕学講座担任に変わり,同59年4月停年により退職し,同年同月北海道大学名誉教授の称号を授与されました。
 北海道大学退職後,昭和59年4月から平成3年3月まで北海道武蔵女子短期大学教授に就任し,その間,昭和60年4月から同62年3月まで同短期大学図書館長を務め,さらに平成3年4月から同5年3月まで同短期大学客員教授として私学振興に貢献されました。
 先生は,この間,専門の昆虫学において,主としてコガネムシ類の生態学的研究ならびにキクイムシ類の生態・防除の研究に従事されました。樹木・作物・芝生等の大害虫であるコガネムシ類の形態分類を行う一方,コガネムシ類の季節的発生状況を明らかにし,効果的防除への道を開きました。とりわけ顕著な業績は,キクイムシ類の大発生過程を生態学的に解析したことにあります。昭和29年洞爺丸台風によって北海道に大量の風倒木が生じ,これを温床としてキクイムシ類が大発生し,森林に大きな被害を与えました。先生は,大発生したキクイムシ類の追跡調査を行い,大発生が収束に至る生態学的なメカニズムに焦点を当てた研究を推進されました。こうした研究は本邦唯一のもので,その後の亜寒帯林保護に貴重な業績として評価されています。その後,先生の研究は「養菌性キクイムシ類」を対象とした,昆虫−菌類共進化の研究へと移りました。養菌性キクイムシ類の生態,特に共生菌との関係について,走査電子顕微鏡を用いた微細観察に基づいて,数々の新知見を発表されました。こうした知見は,国内はもとより海外の森林保護関係の参考書にたびたび引用され,高い評価を受けております。
 先生の活動は国内に止まらず,昭和34年9月から同35年9月まで,アメリカ合衆国マサチューセッツ大学に北海道大学との研究者交換計画により交換教授として留学し,主として作物ならびに森林害虫の防除,森林保護に関する昆虫学の専門教育と研究を行い,学術の国際交流にも尽力されました。その後,昭和52年米国にて米国・カナダ森林保護会議に出席し,また同53年には文部省第一次インド亜大陸の農林昆虫調査隊長を務められました。
 学内では,先生は昭和48年6月から同54年5月まで北海道大学図書館委員会委員として図書館充実に貢献されました。また,昭和52年に設立された大学院環境科学研究科教授に併任され,同52年6月から同54年5月まで北海道大学評議員を務め,全学の運営に参画し貢献されました。さらに,昭和55年より3年間,北海道大学教養課程教育協議会委員理系学部小委員会委員長として教養課程の教育改善に努力されました。このように,先生は学内で多方面にわたり管理運営に尽力するとともに,学生,後進の教育・研究指導に尽くし,農学部を始め,蚕糸・昆虫農業技術研究所・農林水産省関係の研究者など幾多の俊才を育成して斯界の発展に貢献されました。
 学外の活動においては,昭和37年5月から39年3月まで北海道開拓事業調査計画委員,同50年6月から53年9月まで小樽内ダム(現・定山渓ダム)環境アセスメント委員会委員(昆虫部会長),同54年10月から56年6月まで十勝川上熊牛・芽室水力発電環境アセスメント委員会委員(動物部会長),同58年6月から60年5月まで千歳川放水路検討委員会委員(環境部会長),同60年6月から平成7年4月まで千歳川放水路環境影響調査委員会副委員長(生物科学部会長)として,北海道の環境アセスメントの検討に中心的な役割を果たして来られました。
 以上のように,先生は,昭和20年に北海道大学を卒業して以来,永きにわたり教育者・研究者として一貫した信条のもとに優れた業績をあげ,多くの研究論文を通して後進の啓発と斯界の発展に貢献してこられました。学生の指導,国際交流,私学における教育の貢献,地域の発展等に尽くされた役割はきわめて多大であり,平成7年4月29日に勲三等旭日中綬章が授与されております。
 ここに中島敏夫先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

(農学院・農学研究院・農学部)


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