訃報

名誉教授  しま せい きち 氏(享年84歳)

名誉教授 三島 清吉(みしま せいきち) 氏(享年84歳)

 名誉教授三島清吉氏は平成20年8月11日,S状結腸癌のため満84歳でご逝去されました。ここに生前のご功績を偲び,謹んで哀悼の意を表します。
 同氏は,大正12年12月10日北海道函館市に生まれ,昭和20年9月に函館水産専門学校遠洋漁業科を卒業し,同校練習船おしょろ丸3等航海士,2等航海士の嘱託を経て,昭和22年12月同校文部教官に任命され,練習船おしょろ丸2等航海士となりました。その後昭和23年3月に退職しましたが,同年7月に再び同校文部教官に任命され,昭和24年2月同校練習船北星丸1等航海士,昭和25年10月同船船長,昭和26年3月北海道大学水産学部練習船北星丸助教授,その後同学部練習船おしょろ丸,練習船北星丸の船長を歴任し,昭和42年4月北海道大学水産学部附属北洋水産研究施設に配置換となり,昭和52年4月教授に昇任し,同施設海洋生態学部門を担当するとともに,昭和52年4月から昭和54年3月及び昭和56年4月から昭和58年3月までの両期間には北洋水産研究施設長,昭和60年6月から昭和62年3月までは北海道大学評議員を務められました。昭和62年3月北海道大学を停年により退職し,同年4月北海道大学名誉教授の称号を授与されました。
 永年にわたり,同氏は海洋生態学の教育,研究に努め,海上における実務教育の過程で多数の学生を薫陶し海事従事者として世に送り出すとともに,新漁場開拓を行いわが国の遠洋漁業の発展に貢献しました。また,魚類の生態学的研究を円滑に行うため調査船を国際的評価に耐える体制に整えています。昭和27年には,日米加漁業条約妥結とともに北洋漁業が再開された翌年から,船長として練習船による戦後初の北洋航海を成し遂げ,種々の調査活動を行いその後の日本のサケマス研究発展の基礎を築いたものとして高く評価されています。そして,同人は船長として練習船を利用した北海道水産試験場,小樽機船底引網漁業組合及び北海道大学水産学部との共同調査においては,オホーツク海北部でニシン漁場を発見したことから商業漁業が乗り出すこととなり,日本の市場にニシンを大量にもたらし,我が国の水産業の発展に貢献しました。
 さらに,同氏は昭和25年から昭和39年までの間,特に北海道の日本海における武蔵堆を中心とした海域における底魚類の資源調査によって,大陸棚の斜面域におけるトロール漁場を開発しています。同時に,ネズミザメ,サンマ,スルメイカ等の日本海における季節的回遊機構を明らかにしています。昭和40年以降は北西部北太平洋やオホーツク海におけるサケマス類の生活史解明の調査を行い,オホーツク海に面する河川で生まれたシロザケ未成熟魚が,索餌のため成魚と共に夏季オホーツク海に一時的に回遊してくる事実を発見しました。そして,流網の試験操業からサケマス類の行動習性は,ベニザケが昼行性,カラフトマスとギンザケは夜行性,そしてシロザケは昼夜行性であることを明らかにし,北太平洋の海洋生態系解明のために大きな貢献をしました。
 また,同氏は北西太平洋及びオホーツク海に来遊するサケマス類の漁場形成と資源診断には,専用の調査船が必要であるとの信念から,サケマス業界から提供された木造船第5康正丸(89トン)を調査船として活用しました。さらに,調査研究の規模を拡大するために調査船親潮丸(217トン)を建造し,サケマス魚群の移動を現場の状況に応じて追跡することにより,その間の成長過程や成熟過程を時間経過とともに解明することを可能にしました。この間の昭和48年3月には,過去の調査研究成果を一部纏めた「北洋特にオホーツク海域におけるサケ属二・三種の日周行動に関する研究」により,北海道大学から水産学博士の学位を授与されております。
 その後,同氏は,昭和60年6月から昭和62年3月まで北海道大学評議員として大学運営の枢機に参画し,北海道大学の充実発展にも尽力してきました。そして,退官後の平成3年7月には高等海難審判庁に「海事補佐人」としての登録(第1459号)を行い,以後,平成3年12月から平成14年9月までの間,漁業者が絡んだ海難審判において,漁業者の主張を正確に陳述できるよう補佐してきました。
 以上のように同氏は,これまでの人生を通じて水産学の教育,研究の向上に渾身の力を払い,今後の更なる発展に資する成果を上げてきた功績について,平成13年4月29日に勲三等瑞宝章が授与されております。
 ここに謹んで先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

(水産科学院・水産科学研究院・水産学部)


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