北大は21世紀のランドグラント大学を目指せ
1959(昭和34)年農学部農芸化学科卒
今 田 哲
(元 武田薬品工業(株)理事,元 奈良先端科学技術大学院大学教授・評議員,現在 京都大学大学院工学研究科非常勤研究員)
農学部農芸化学科の卒後50年の同期会が持たれたのを機に2009年6月25日北大を訪問した。同期の但野利秋名誉教授などの配慮で佐伯浩総長,上田一郎農学部長,馬渡俊介北海道大学総合博物館長との話し合いの場が設けられた。お陰で単なるセンチメンタルジャーニーに終わらせることなく,めいめい50年ため込んだ北大に寄せる思いを語り,建設的にホームカミングの時を過ごすことができた。
1876年(明治9年)に札幌農学校として発足後,東北帝国大学農科大学(1907年〜),北海道帝国大学(1918年〜),北海道大学(1947年〜)と歩んできた北大は,2004年に国立大学法人北海道大学として新しいスタートを切っている。佐伯総長の口から「差別化」という言葉が聞かれ,独立行政法人になって初めて選出された総長の並々ならぬ決意を感じるとともに,大学にとって大きなチャンスが訪れていることを知った。
もとより,「差別化」は同業他社との競争を勝ち抜き,競合優位を確立する方策を表す企業用語である。製品やサービスの質の優位性だけではなく,企業イメージを含めた多面的なブランド性が差別化の要素になる。札幌農学校の初期の卒業生が日本の文明化に果たした大きな足跡は,ボーイズ,ビー アンビシャスという言葉とともに最大のブランド力であった。また,国内の大学の中で常にトップクラスに挙げられる自然豊かなキャンパスも北海道自身の魅力とともに強い武器であった。これらは比較的表層的な「あこがれ」を生んできたことは間違いない。われわれ卒業生にとって道外出身者の比率は常に関心の的である。例えば,当日の会合に集った16名の同期生の出身高校の所在は北海道8名,東京4名,関西圏2名(京都府と兵庫県),九州圏2名(福岡県と長崎県)で道内外の比率はちょうど半々であったが,道外出身者の比率50%確保は多くの北大卒業生の深層的な願いであろう。しかし,上記のあこがれ要因だけでこれを達成することは今やほとんど不可能に近いと思われる。
京都大学はノーベル賞受賞者を最も多く輩出したことをブランド戦略にしている。昨年のノーベル賞に名古屋大学関係者が3名いたことで同大学のブランド名は一気に高まった。益川敏秀教授を擁する京都産業大学は入学者が急増した。ブランド性という点からだけでなく,製品やサービスにおける競合優位確保という点からもノーベル賞受賞者の輩出に向けた努力を北大の目標にしていただきたい。
農芸化学科同期の浅野孝カリフォルニア大学名誉教授は2001年に水のノーベル賞と言われるストックホルム水賞を受賞され,北大の名声に貢献しているのはわれわれの誇りであるが,同氏はアメリカ国籍になった今も北大のために人一倍大きな声で発言しておられる。筆者はその声に誘われるまま,6月25日のプログラムの合間を縫って北大のブランドアップ戦略について意見を交換した。その中から出てきた一つの方策が北大の出自がランドグラント大学であることを利用しようという考えである。
ランドグラント大学(land-grant university)は土地付与大学と訳されることもある。アメリカ全土に所有した連邦政府の土地を州政府に無償で供与し,その土地に大学を建てて農学,軍事学及び工学を教育し,その大学がある州の発展に貢献させることを目指したのである。この方向を生み出したモリル法は南北戦争中の1862年に制定されたもので,アメリカ高等教育の歴史を変えたといわれるくらいの効果があったとされている。北大の前身である札幌農学校が誕生したのは1876年でモリル法制定14年後のことであった。札幌農学校を創設するためにマサチューセッツ大学の学長現職のまま招聘されたクラーク博士が,教育行政に携わる者の一人としてランドグラント大学をモデルにしなかったわけがないと考えるのは自然であろう。しかしながら,そのことに触れた記述を筆者は知らない(日本の大学では琉球大学が1950年,米国のland-grant universityの一つであるミシガン州立大学の指導を受け設立されたとされている)。
ところで,なぜランドグラント大学であることが北大のブランドアップ戦略と結びつくのか。いま大学には地域科学技術戦略の中核としての機能と,国際的な環境の中での強さの二つが求められている。我が国の新しい憲法ともいえる科学技術基本法が1995年に制定され,それを具体化するために科学技術基本計画が3次(第1次 1996年〜,第2次 2001年〜,第3次 2006年〜)にわたって実施されてきたが,その中で強調の度合いを深めているのが地域科学技術施策である。文部科学省においても「地域の研究開発に関する資源やポテンシャルを活用することにより,我が国の科学技術の高度化,多様化,ひいては当該地域における革新技術・新産業の創出を通じた我が国経済の活性化が図られるものであり,その積極的な推進が必要」として,地域における科学技術振興を重点施策の一つとして取り組んでいる(
http://www.mext.go.jp/a_menu/kagaku/chiiki/index.htm
)。地域を活性化して国の経済の興隆につなげようとするその考え方はまさにモリス法の精神と共通している。
学生時代,指導教官であった応用菌学教室の佐々木酉二教授の下にトラピスト修道院の尼僧がチーズ作りの指導を求めて来訪されたのをよく見かけた。その先代の半沢洵教授は納豆普及会を立ち上げて国民の健康増進と産業の振興を図られた。北海道が日本有数の米生産地になったのは土壌肥料学を教わった石塚喜明教授らの地元への真摯な思いによるものであろう。その石塚先生も前出の半沢先生も遠友夜学校で地域の教育の機会に恵まれない青少年の教育に携わられたと聞く。50年前はランドグラント大学としての建学の精神が身近に息づいていた。その精神が時と共に薄れて行くのは止むを得ないとしても,捨て去るにはあまりにももったいない。独法化で各大学が特徴を打ち出そうとしている今,ランドグラント大学というアイデンティティーが北大関係者の間で共通の認識になれば,昨今の国の施策との整合性の面からも,それは立派な差別化戦略の柱になるように思われる。
もう一方の国際的な環境の中での大学の強さはどのように達成しうるのか。最も望ましいのは「居ながらの国際化」,「内なる国際化」であろう。我が国の優れた研究成果が海外で評価されて初めて国内でも再評価されたという例は枚挙にいとまがない。国内には国際的な絶対基準で判断する下地がなかったのである。世界のトップクラスの科学集積地や大学には世界各地から俊英が自然に集まり,淘汰され,国際的な科学コミュニティーが形成されている。また,そこから国内外各地に散っていった学者仲間と英語という共通言語によって電話で論文などに公表される前のゼロ次の研究情報を日々交換するネットワークが形成されている。これが「居ながらの国際化」であり「内なる国際化」なのである。北大の目指す21世紀のランドグラント大学もこのような姿であるべきであろう。そのためには国際語でのコミュニケーション能力を北大のコミュニティーに定着させることが是が非でも必要となる。
21世紀の大学の使命とは何かということを出発点に考えるのも重要である。現在地球が抱える課題は,世界人口の増加と食の欧米化にともなう「食糧問題」,化石資源の消費による「地球温暖化問題」と枯渇に伴う「エネルギー問題」,さらに地球温暖化や人口増加に付随した「水問題」に集約される。これらの解決を目指す融合領域の形成を北大の目指す21世紀のランドグラント大学の柱に据えるべきである。どのような融合をどのようなリーダーシップの下で行うかが計画の成否を決めるであろう。選択と集中という民間企業で行なわれている方法は大学文化との相性は悪いかもしれないが,それも必要になるであろう。そして一旦方針が決まればじっくりと継続する覚悟も必要となる。
50年ぶりに訪れた母校の構内を隈なく散策した。キャンパス北西部の新しい恵迪寮周辺の森の豊かさに圧倒され,これぞ北大が持つ宝物だと思った。学生の時に北欧を舞台とした小説を好んで読んだ。描写されている情景が北海道の自然の中で身近に想像できたからである。佐伯総長がロシアや東欧から留学生を集めて,差別化を図る一助にしたいと言われた。大賛成である。札幌の自然はたぶんそれらの地域やバルト3国に近いだろう。ロシア,東欧,北欧の若者たちにとって勉学する自然環境が故郷に近いというのは多分大きな魅力になると想像する。
魅力づくりの原点は宝探しである。ランドグラント大学としてのアイデンティティーは宝の一つになると信じているが,まだ原石である。磨いて見事に輝く宝の石にしていただきたい。2025年に学生100人のうち30人が道産子,40人が内地出身者,10人が北部ヨーロッパ出身者,10人がアジア出身者,10人がその他地域の出身者になっていれば,北大は日本一のキャンパスを生かした日本一の大学の下地作りに成功したと言えるのではないだろうか。