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教授 花井一典氏は平成22年8月25日午後7時11分に前立腺がんのために北大病院にて逝去されました。ここに同氏の生前のご功績を偲び,謹んで哀悼の意を表します。
花井先生は1950年3月に広島で生まれ,1968年に東京大学文科3類に進学し,さらに同大学院で西洋古典学そして哲学を学びました(1984年博士課程単位取得退学)。1989年山形大学人文学部助教授として赴任され,本学文学部には1994年に助教授として赴任されました。先生は2004年教授になられ,本年前期まで16年半研究と教育に勤しまれ,本学および哲学会の教育,学術の発展に尽力されました。
花井先生の専門は中世哲学であり,とりわけトマス・アクィナスの存在をめぐる諸論考において独自の見解を展開しました。先生の仕事は大別して二つに分けることができます。一つは最も基礎的な語句であり豊かな含意をもつ「存在(エッセ(be)ないしエンス(being))」の構造的把握の企てとして,その動的な理解による「概念的不透明性」の克服に向けられる諸論考であり,とりわけ事実の成立に存在の機能を位置づけることにその独創性が見られます。もう一つは中世哲学の諸文献の翻訳,注解の仕事です。第一の仕事を花井先生が取りくんだ哲学者に即して言えば,トマス・アクィナスの存在をめぐる理論への独自の洞察から,デカルト,カント,フッサール,フレーゲ,ラッセル,ストローソン,ジルソンそしてオースチンらの諸理論との対論を企てており,トマスの哲学が十分に現代にいたるまでの存在や認識,論理そして言語をめぐる諸理論と対話可能であり,またそれらの特徴と限界を論評しうるものであることを説得的に展開しております。またトマスの理論の哲学史的背景としてパルメニデス,プラトン,アリストテレスそしてアンセルムスについても独立の論文ないしトマス研究との関連で考察し,鋭い眼差しを注ぎました。さらに先生の近年のエックハルト研究はトマス研究でえられた存在分析の視点からの解読の試みです。これらの論考において,文の構成を通じて開示される真や意志の対象である善の解明に存在理解が含まれており,真や善を表現する文を成立させるものとしての存在の働きが解明されます。この立場の基礎にトマス哲学の重要主張とみなしている超越概念の先生の考察があります。花井先生はこの考察をもとにトマスの真理論,認識論を存在概念の豊かさと確かさのもとに説得的なものとして展開しています。このように,先生は存在論と離れた近世以降の認識論の独立化や理論哲学と実践哲学の安易な分離にトマスの立場から警告を発しておられました。
代表的な論文に「エッセと判断−トマスの判断論への一考察−」(『中世思想研究』中世哲学会編No.29,1987),「トマスのエッセ把握と存在述語」(『哲学』日本哲学会編No.38,1988)「真理と善の間に−超越概念から見た聖トマスの認識理論−」『哲学雑誌』哲学会編No.113,1998)等があります。また翻訳としてドゥンススコトゥス『存在の一義性』(山内志朗氏と共訳,哲学書房1989)アヴェロエス『アリストテレス霊魂論第三巻』(中澤務氏と共訳,『中世思想原典集成第11巻』平凡社2000)等があります。
先生は語学の天分に恵まれました。先生はギリシア語,ラテン語等西欧諸言語はもとよりヘブライ語,サンスクリット語に至るまで習得し,また私家本の漢和辞典を作成するほどでした。その語学の能力をおしみなく学生に還元しました。実際,語学の基礎訓練を或る学生に詳細な添削により死の間際までほどこしておられました。なお,九州大学や神戸大学での集中講義においても受講の学生諸君に中世哲学研究がいかに近世や近代の哲学の基礎になっているかを該博な知識のもとに伝え,日本においては手薄な中世哲学の教育を全国的に担われました。
学会活動としては中世哲学会の常任委員などを務め学会を支えました。文学研究科においても教務委員やプロジェクト委員会委員長等を務め,文学研究科の発展に貢献されました。
本来ならこれまでのお仕事を集大成される50代後半に闘病生活を余儀なくされましたことは先生におかれまことに悔しく,心残りでいらっしゃいましたことでしょう。先生の遺された様々なアイディアを次の世代は無にすることなく生かし展開していくことが残された者の課題であると存じます。先生の御霊がやすらかであられますよう,ご冥福を心より祈念いたします。
(文学研究科・文学部)
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