本年度の医学教育等関係業務功労者として,本学から北海道大学病院看護部 副看護師長 萬木ゆき江 氏,北海道大学病院診療支援部 主任臨床検査技師 伊藤敬子 氏の2氏が表彰され,11月30日(火)ホテルフロラシオン青山において,表彰式が行われました。
この表彰は,文部科学省が毎年,医学または歯学に関する教育・研究若しくは患者診療等の補助的業務に従事し,顕著な功労のあった方々に対して行うものです。
2氏の表彰に当たっての感想を紹介します。 |
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(総務部広報課) |
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○萬 木 ゆき江(よろぎ ゆきえ) 氏
(北海道大学病院看護部 副看護師長) |
この度,医学教育等関係業務功労者としての推薦を看護部長よりお話があり戸惑いました。このような受賞を頂ける実績は自分には無いとの思いがあり,なぜ私がとの感情でした。看護部長とお話する場を設けていただき,患者さんが心地よく日常生活を送れる看護の提供に対しての実践と,後輩への指導に対しての評価のお言葉を頂きました。
私は昭和49年4月,北海道大学医学部附属病院に勤務し,最初は皮膚科病棟に勤め,その後は第二外科,手術部,第一内科,材料部,そして皮膚科・形成外科・放射線科が最終の病棟となりました。その間,一時健康を害し6ヶ月ほどの入院生活を送ることになり,病棟と看護部には多大な迷惑をかけてしまいました。当時はとても負い目を感じていました。職場復帰の際には看護部の体調に配慮した人事のもと,徐々に元の勤務に戻ることが出来ました。患者となり,患者の家族の想いにも触れた体験は,その後の看護に活かしていけたと思っています。そして,この35年間,医学の進歩の他,看護記録ひとつとっても,黒表紙に万年筆の時代からスタートした私は,めまぐるしい医療環境の変化に着いて行くのに必死でした。精神的にも辛くなり仕事を続けられるだろうかと迷った時期もありました。しかし,職場の数多くの皆様の支えと,そして患者さんの看護を通し看護職ならではの学びがあり,なにより看護が好きだったから頑張れたのだと思います。
母は他界しましたが,「おまえは最後まで頑張れる子だ」と小さい頃から私に話していました。表彰式に出席し,あらためて受賞の重さを感じ,これまでの指導と支援をしてくださった方々に感謝しつつ,心で「母さん,最後まで勤めたよ」と伝えました。
退職まであと少しとなる中,このような身にあまる受賞に感謝と,この受賞にご尽力いただきました看護部長を始め関係各位の皆様に心より深くお礼を申し上げます。ありがとうございました。 |
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○伊 藤 敬 子(いとう けいこ) 氏
(北海道大学病院診療支援部 主任臨床検査技師) |
この度医学教育等関係業務功労者表彰という身に余る賞を頂き,大変光栄に思いながらも,賞に値する職責を果たせていただろうか,検査・輸血部が品質管理システムとして掲げる方針に沿って努力をしただろうか,私以上に長年検査部を支えてきた同僚がいる中で年長の一人としての指名もあわせて頂いたものだろうか,など複雑な思いで式典に臨み,その栄に浴してまいりました。
全国からの受賞者にお会いして受賞の重みを強く感じることができました。
表彰にあたり,ご推薦を頂いた検査・輸血部長,診療支援部長に心から感謝いたし,厚くお礼を申し上げます。
私は,北大病院検査部で36年間,生化学,血液,免疫血清の検査業務に従事させて頂きました。採用当時は用手検査が主流で,自動測定機器が導入され始めた頃でしたが,情報処理の急速な進歩に伴い,検査処理も迅速化が進み,現在では診療前検査管理加算に対応できる体制になり,今後更に発展するものと確信しております。
改めて在職してからの検査の変貌に思いを巡らせると,今では不要になってしまった検査で,苦労したことが次々と懐かしく思い出され,検査に従事した期間の長さを感じます。
検査部の仕事以外では大学内でのセクシャルハラスメント相談員の任をいただき戸惑いの数年を経験したり,ICT(感染制御チーム),NST(栄養サポートチーム)のメンバーとして立ち上げから参加させていただき,微力な私が,他職種の方々と仕事が出来たことは,大変貴重な思い出です。
これまで仕事を続けることが出来,賞まで頂けましたのも諸先輩のご指導,同僚のお力添えがあってのものと皆様に深く感謝申し上げます。 |
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(北海道大学病院) |
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