このたび,本学関係者の次の2氏が,平成23年秋の叙勲を受けることについて,11月3日(木)に発表となりました。
勲 章 |
経 歴 |
氏 名 |
瑞 宝 中 綬 章 |
名誉教授(元 工学部教授) |
渡 辺 昇 |
瑞 宝 単 光 章 |
元 看護師長 |
宮 川 純 子 |
各氏の長年にわたる教育・研究等への功績と我が国の学術振興の発展に寄与された功績に対し,授与されたものです。
各氏の受章にあたっての感想,功績等を紹介します。
(総務企画部広報課)
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渡 辺 昇 氏

このたび,秋の受勲の栄を賜り大変光栄に思っております。これもひとえに多くの方々の永年にわたるご指導,ご支援,ご協力のたまものであり,また,私を推薦し受勲の諸手続きをお進めくださった方々に心から感謝いたしております。
私は土木の橋梁工学,鋼構造工学,耐震工学が専門です。
橋梁工学の分野においては,沼田大橋のプレストレスド・バランスド・ランガー桁工法,津軽大橋の頭部拡大鋼管杭工法,三好橋の床版単独プレストレス工法,無意根大橋の5径間連続曲線桁工法,厚岸大橋の大口径鋼管斜杭工法,石狩河口橋の鋼管矢板井筒基礎工法,三国橋の耐候性鋼材裸使用工法,二股橋の接触式支圧ボルト接合工法,栄橋の鉄筋貫通式鋼管杭頭部処理工法,野野沢川1号橋のコンクリート合成鋼床版工法(CS橋),湾内大橋の下のフランジに丸みのある三角形箱断面工法,竜谷杉橋の鋼材と木材の複合工法(SW橋)など,多くの新工法の開発的研究を行い学会などに発表,実用化に成功しました。また,石狩川において最大の美原大橋の一面吊り長大斜張橋については,美原大橋設計施工検討委員会の委員長を務めました。
鋼構造工学の分野においては,日本鋼構造協会のUリブ規格小委員会の委員長として,橋の鋼床版に使用するUリブを規格化し,本州四国連絡橋の瀬戸大橋,因島大橋,大三島橋,大鳴門橋,世界一の吊橋の明石海峡大橋などの鋼床版のUリブに全面的に活用されています。
耐震工学の分野においては,早くから時刻歴地震応答解析法の開発的研究を行い,1968年十勝沖地震における青森県津軽大橋の現場において,地震応答の実測と解析に成功し,さらに,杭基礎橋脚の地震応答解析法や斜張橋の時刻歴地震応答解析法を開発し,橋の耐震設計法に貢献しました。なお,以上の設計と解析,計算には,コンピューターやパソコンがなくてはならない道具であり,そのソフトの開発のために現在も若い人たちと一緒に取り組んでいる毎日です。
北海道大学の益々のご発展を祈念いたします。
略 歴 等
生年月日 |
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昭和3年1月18日 |
昭和27年4月 |
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建設省入省 建設技官 |
昭和32年4月 |
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建設省道路局国道課橋梁係長 |
昭和33年4月 |
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北海道大学工学部助教授 |
昭和36年7月 |
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西ドイツ・アレキサンダー・フォン・フンボルト財団給費研究員として西ドイツ・カールスルーエ工科大学に留学 |
昭和42年4月 |
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北海道大学工学部教授 |
平成3年3月 |
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北海道大学停年退職 |
平成3年4月 |
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北海道大学名誉教授 |
功 績 等
渡辺 昇氏は,昭和3年1月18日北海道札幌市に生まれ,同27年3月北海道大学工学部土木工学科を卒業,同26年第4回6級職国家公務員試験合格により建設省に技官として入省,関東地方建設局京浜工事事務所を振り出しに,同局企画部係長,同省道路局国道課橋梁係長を経て,同33年4月北海道大学工学部助教授となり,同36年7月西ドイツのアレキサンダー・フォン・フンボルト財団の給費研究員として,カールスルーエ工科大学に留学,同37年9月帰国,この間同37年3月プレストレスド・バランスド・ランガー桁橋の研究により北海道大学より工学博士の学位を授与されました。昭和42年4月教授に昇任されてからは24年間にわたって橋梁学講座を担任され,平成3年3月停年によりご退官し,同年4月北海道大学名誉教授として今日に至っています。
この間,学内においては,北海道大学大型計算機センター設置準備委員会委員,北海道大学情報処理教育センター設置準備委員会委員,北海道大学工学部改革案作成委員会副委員長,同入学試験制度検討委員会委員長,同企画委員会委員長,文部省学術審議会専門委員などを務められました。
学外においては,北海道土木技術会鋼道路橋研究委員会委員長,本州四国連絡橋鋼上部構造研究委員会委員,日本鋼構造協会Uリブ規格小委員会委員長,日本鋼構造協会耐候性溶接H形鋼小委員会委員長,溶接学会北海道支部長,地震予知総合研究振興会評議員,土木学会副会長,北海道土木技術会会長を務められました。
また,次の8冊の著書を出版されました。1.格子けたの理論と計算(技報堂) 2.曲線けたの理論と計算(技報堂) 3.橋の影響線の理論と計算法(現代社) 4.連続けた影響線の縦距表と面積表(技報堂) 5.橋梁工学(朝倉書店) 6.土木工学のための複素関数論の応用と計算(朝倉書店)7.等角写像図集(朝倉書店) 8.時刻歴地震応答解析法(技報堂出版)。
これらの功績に対し,平成8年に「溶接学会溶接学術振興賞」,同15年に「土木学会北海道支部功労賞」,そして同22年には「日本木材防腐工業組合理事長賞」を受賞されました。
以上のように,同人は,学術研究上の諸活動,大学の運営,学会や地域社会における貢献は極めて多大であり,その功績は顕著であります。
(工学院・工学研究院・工学部)
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宮 川 純 子 氏

この度,平成23年秋の叙勲授与という栄誉を与えて頂き誠に身に余る光栄でございます。これもひとえに北海道大学病院に長年勤務させて頂き,諸先輩はじめ同僚の皆様方のご支援の賜物と心より感謝を申し上げます。お陰様で私は32年間,北海道大学病院で「看護を学ぶ」ことの喜びを味わいながら過ごすことができました。本当に幸せに感じております。
顧みますと,私が北海道大学病院に入職したきっかけは,本年5月に他界されました大田すみ子元看護部長様との出会いでした。ある委員会で,看護を真剣に議論する姿に衝撃を受けました。以後,多くの病棟,部署で,看護の経験をさせて頂きましたが,触発された「看護を学びたい」思いは退職まで変わることがありませんでした。大学病院の使命を担って行われる最先端の医療を受ける患者さんに,どのような看護を提供するのかをずっと突きつけられていた気がします。患者の権利,がん告知,医療倫理など,時代が大きく変わる中で,患者中心の看護等考えなければならないことが山積でした。それらを身近で学ばせて下さったのが,患者さんの声と現場で治療に当たる教授はじめ諸先生,同僚の真摯な姿でした。
第一外科では,肝臓移植に向けた医療の実際を体験致しました。小児科では,病棟医長が申し送りに参加し,その後師長と打合せをするこという病棟運営のあり方も学びました。第一内科では,時代の要請に応えるべく2年がかりで「告知のガイドライン」を完成させ,医療者と患者が向き合いともに考えながら告知が進められました。時代が動いた瞬間に立ち合せて頂きました。婦人科では,急性期医療と終末期医療が行われている中で,倫理的ケアを皆で考えました。女性の医療を支えている諸先生に頭が下がりました。手術部では,東洋一のクリンホール型手術部を完成させた副部長のもとで多くのことを学びました。看護部では,救急や手術医学会・看護学会,海外視察や研修,国際学会の参加など,大きな視野の中で物事をとらえる機会を与えて頂きました。病院理念である「良質な医療提供,優れた医療人の育成,地域医療への貢献」を基盤にした看護提供の実現等を目指す歴代看護部長の管理者への期待であったと考えております。昭和62年,千葉大学看護実践指導センターでの6ヵ月間の講習会の学びは,臨床看護研究の真の意義を知ることになり,その後スタッフともに現場で行われている看護を追及することに繋がりました。また,「世界を知る。世界の看護を感じる」研修では,看護部が培ってきた「自由な中での新しい看護の創造」という方針と相まって,日本の手厚く細々とした看護実践の質を研究によって明確にすることを後押ししてくれました。
最後になりますが,今回の受章の労をおとり下さいました皆様にお礼を申し上げますとともに,北海道大学,北海道大学病院,並びに看護部の益々のご発展をご祈念致します。
略 歴 等
生年月日 |
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昭和23年11月18日 |
昭和45年4月 |
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天使病院 |
昭和52年4月 |
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北海道大学医学部附属病院 |
昭和61年4月 |
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北海道大学医学部附属病院 看護部看護婦長 |
平成15年10月 |
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北海道大学医学部・歯学部附属病院 看護部看護師長 |
平成21年3月 |
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北海道大学定年退職 |
平成21年6月 |
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社会医療法人社団カレスサッポロ時計台記念病院 副看護部長 |
平成22年4月 |
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社会医療法人社団カレスサッポロ時計台記念病院 看護部長 |
功 績 等
宮川純子氏は,昭和23年11月8日に北海道帯広市に生まれ,同45年3月に天使女子短期大学衛生看護学科を卒業後,天使病院に勤務,同52年4月に北海道大学医学部附属病院に文部技官として採用され,同57年副看護婦長,同61年看護婦長を歴任し,平成21年3月に北海道大学病院を定年にて退職するまで看護管理・教育の充実にむけて貢献されました。退職後,嘱望され平成21年6月より社会医療法人社団カレスサッポロ時計台記念病院副看護部長,同22年4月より看護部長に就任され現在に至っております。
昭和57年4月,小児科病棟副看護婦長に昇任すると,同年,日本看護学会(小児学会)で「入院患児の遊びへの援助を考える」を発表され,幼児前期,幼児後期,学童後期〜思春期等年齢による特徴を理解し,児の遊びの実態を知り,その場面に関わっていく個別性を尊重した看護の実践に取り組まれました。
昭和60年4月に手術部・救急部に異動となり,同61年4月には看護師長に昇任,日本初の清潔ホール型手術部の管理運営に尽力され,手術部の清浄度の維持,手洗い教育,手術機械の安全管理,清潔管理・体温管理・安全安楽な体位管理等手術看護の専門性確立に取り組まれました。
その後,第一内科病棟,婦人科病棟で看護師長を歴任し,看護管理者としてチーム医療の推進と看護の質向上に努められました。
この間多数の看護研究を指導し,日本看護学会(成人看護 I )「特発性間質性肺炎急性期増悪期における患者の日常生活行動援助」等継続した研究発表を行い,慢性呼吸不全患者のQOL(Quality of Life)向上に貢献され,また,国際学会においても,IGCS(国際婦人科腫瘍学会)(バンコク)「婦人科がんにおけるリンパ隔世術を受けた患者のリンパ浮腫の実際」等多数の発表をされています。
同人は,社会的活動も精力的に行い,日本手術看護学会評議員(平成3年〜同5年),日本救急看護学会理事(平成10年〜同16年)・評議員(平成10年〜同19年)等を歴任し,手術部看護及び救急看護をリードし,発展に貢献されました。
以上のように同人は,本院ならびに北海道における看護の質向上,患者サービスの向上,人材育成に尽力されたものであり,その功績は誠に顕著であると認められます。
(北海道大学病院)
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