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春の叙勲に本学から3氏

 このたび,本学関係者の次の3氏が,平成24年春の叙勲を受けることについて,4月29日(日)に発表となりました。
勲   章 経    歴 氏   名
瑞 宝 中 綬 章  名誉教授(元 工学部教授) 金 内 忠 彦
瑞 宝 小 綬 章  名誉教授(元 医療技術短期大学部教授) 吉 田 京 子
瑞 宝 双 光 章  元 附属図書館事務部長 金 井   孝
 各氏の長年にわたる教育・研究等への功績と我が国の学術振興の発展に寄与された功績に対し,授与されたものです。
 各氏の受章にあたっての感想,功績等を紹介します。

(総務企画部広報課)

金内 忠彦 氏

感 想

 このたび,叙勲の栄に浴し,身に余る光栄に存じます。大学および大学院の学生として勉学に,さらに長年教員として,教育ならびに研究にたずさわることになり,その間,多大かつ適切な機会とご指導をいただきましたことを,恩師の久野陸夫教授をはじめ,先輩諸先生,同輩諸先生,関係各位の皆様に深く感謝申し上げます。
 大学院修士課程の一期生として,久野先生,土肥修先生のご指導をいただき,木材機械加工に関する学生研究に着手しました。この分野は,欧米では機械工学の範囲としている国が多かったのですが,日本ではあまり対象になっておらず,特に林産資源の豊富な北海道において,当学として研究することが望まれていました。
 同課程修了後,北海道立林業指導所(現林産試験場)に就職し,機械加工部門を担当しました。当時,台風15号により北海道の森林が甚大な被害を受け,風倒木が山林に充満し,これを早急に有効に処理することが緊急の問題となり,取り組みました。
 木材加工では,一般的に原木を剥皮することが必要で,不規則形状の小径原木を高効率,効果的に処理することを目的に,種々の実験によって新しい剥皮方法と剥皮機械を開発し,実用に供しました。これが昭和38年日本木材学会賞の対象となりました。出現当初の合板用中空パネルのペーパーコアを製造する機械の試作を行い,実用化に成功しました。この一連の装置を皇太子殿下(今上陛下)にご覧いただき,お言葉を賜り,感激いたしましたことは,一生の想い出となりました。小径木のロータリー単板切削時における被削材のたわみとびびり振動を防止するバックアップロール装置を開発し,単板切削,合板製造の精度と効率が向上しました。
 昭和37年4月に,北海道大学工学部機械工学科助教授に採用され,機械工作学講座において,金属および木材などの加工,加工機械の研究に従事しました。金属,木材,新素材などの鋸歯状工具による切削の一部を修士論文として取り上げて以来,理論的,実験的に解析し,単刃による切削とは異なる観点から究明し,加工精度と効率の向上に寄与できたと思います。これらの研究には,当時の講座の鍵和田忠男助教授,山下良雄助手,大島正裕助手,栃内信男技官のご協力により成果を得ることができました。
 停年後,平成7年4月より5年間,広島工業大学に勤務し,教育,研究に従事すると共に,大学院博士課程の新設に協力しました。その申請当初から,認可後の博士第一号誕生まで主要メンバーとして貢献できましたことを嬉しく思っています。なお,北大および広工大勤務中,長期間にわたって,北海道技術アドバイザーとして,現場の技術指導,技術者の育成を行ってきました。
 ここに,長年にわたるご指導,ご協力を深謝しますと共に,北海道大学のますますのご発展を,心からお祈りいたします。

功績等

 金内忠彦氏は,昭和28年3月北海道大学工学部機械工学科を卒業後,同30年3月同大学大学院工学研究科修士課程を修了し,同年4月北海道立林業指導所(現北海道立林産試験場)に勤務されました。昭和37年4月北海道大学工学部に助教授として採用され,同50年1月には教授に昇任,機械工学科機械工作学講座を担当し機械工作学の分野の発展に努力され,平成6年3月には停年により退職,同年4月北海道大学名誉教授となられました。
 その後,平成7年4月から同12年3月まで広島工業大学教授及び特任教授として活躍されました。
 研究面では,北大において,主に金属及び木材の加工ならびに加工機械の研究に取り組まれました。金属,木材,複合材など各種材料に対する多数刃工具による切削の研究においては,基礎実験を精力的に行い実用的に有益な結果を得て,特色のある研究として学術的にも地域社会に対しても貢献されました。
 着任以前から継続して小径木用剥皮機の開発を行い,木材工業において必要な工程であり難問題である剥皮,特に不規則形状の多い樹皮の比率の高い小径木の剥皮を理論的に解析し,新型の試作機の製作に成功し多くの貴重な成果をあげられました。
 帯鋸の走行性と防振のため振動の理論的,実験的解析を行い,走行安定性改善と振動軽減によって高速切削を可能とし,高く評価されています。
 さらに,防振対策を,当時社会的にも大きく取り上げられていたチェーンソーに適用し,作業の安全性を向上させるなど局部振動障害(白ろう病)の発症軽減のため有効な方策を与えられました。
 木材資源の有効活用のため,ロータリレースによる単板切削用バックアップロールを開発し,利用率を大幅に向上させました。また低品位材,未利用材の活用とパネルの軽量化をかねた各種材料の複合材を考案し,その成型機の試作試験により実用化の糸口を与えられました。
 これら多くの成果は,博士論文,学会賞受賞論文及び主要論文70編を中心に多数公表されています。
 また,北海道における木材高度利用複合化システム開発推進会議委員,加速的技術開発支援事業推進委員会委員などを歴任し官学民による産業技術の向上に貢献すると共に,北海道技術アドバイザーとして地域産業の進展に大きく尽力されました。
 以上のように,同人の,学生の教育,学術研究の発展に対する寄与,さらに地域社会における貢献は極めて多大であり,その功績は顕著であります。

略 歴

生年月日   昭和6年1月7日
昭和30年4月   北海道立林業指導所
昭和37年4月   北海道大学工学部助教授
昭和50年1月   北海道大学工学部教授
平成6年3月   北海道大学停年退職
平成6年4月   北海道大学名誉教授

(工学院・工学研究院・工学部)

吉田 京子 氏

感 想

 この度,叙勲の栄に浴し身に余る光栄と存じております。と同時に私ごときがとの思いもずっしりとございます。北海道大学当局の皆様のご配慮,ご支援をいただきましたことについて,心からの感謝を申し上げます。又看護教育を生涯の職務として,停年まで務めさせていただきましたことにつきましては,看護教育の大先輩で恩師,故葛西キヨシ先生(元北大看護学校教務主任),国立公衆衛生院に学ぶ機会を与えて下さった故山崎カツエ先生(元北海道大学病院看護部長),専門職としての看護職の社会的自立について行動科学を通して共に考えご指導を頂いた故後藤啓一先生(北海学園大学経済学部教授・経営学科),様々な場面でご指導を頂いた歴代看護学校長の先生に深く感謝を申し上げます。
 昭和34年,公衆衛生院での1年は私にとって想定を超えた大変展の連続でした。初めの4ヶ月は保健医療の関係者合同の聴講でしたが,講義される内容は10年20年30年後に現実化されるであろう日本社会の変貌についてでありました。殊に生活に不可欠な保健・医療のありようは病院を中心とした医療から在宅・地域ケアへと変容するだろうと,まさに今体験している現状を予測したものでした。そのための改革・教育のあり方はどのようなものであるべきか,頭の痺れる経験でした。看護職としての命題と役割は変わらないものの,その活動のありよう,それを支える基本的姿勢の明確化が不可欠だと思いました。「準専門職的被雇庸者・指示待症候群と言われる状況を変えなければならない」と。他の専門職に隷属するのではなく,例えば医師が主導する医療計画に参加する場合でも,受ける人々の生活の恒常性を支持し新しい生活技術の獲得を支援するスペシャリストとしての主宰性を確かなものにしなくてはと,更には社会的に自立し,協働できるよう教育をすすめることが私の職務と確信しました。
 故葛西先生は常々看護学校を学校教育法の1条校に,せめて3年制短大にしなくてはと申されていました。北大で正式に短大設立準備委員会が発足するまでの約9年間,毎年概算要求に向けて教育課程や人事その他のいわば模擬的(?)作業を本務の傍らさせられましたが,なぜ私のような若輩者がこれを?と思いつつの日々でした。大学全体のご支援で短大化が実現し更に大学,大学院大学になり,看学時代の卒業生も含め学位を取得できた人も十数人を超えました。又看護職の起業家として独立し地域看護・高齢者養護施設の運営に携わる人の近況を知るにつけ到底私の力の及ぶ所ではありませんが,役割冥利につきる思いがいたします。北大退職後,市立名寄短大(既設:生活科学科2年制)に3年制看護学科新設に関わり再び看護教育に従事しました。現在は名寄市立大学になり保健福祉学部看護学科として平成23年1期生が卒業しました。学習環境としては厳しい中の学生の答辞にはこみあげるものがありました。
 北海道大学,名寄市立大学ともに私は育てられたことを本当に幸せに感じております。深く感謝を申し上げますと共に,益々のご発展を祈念いたします。ありがとうございました。

功績等

 吉田京子氏は昭和6年1月20日樺太気屯(ケトン)に生まれ,同31年3月北海道大学医学部附属看護学校を卒業後,本学医学部附属病院に看護婦として採用され,同40年3月まで勤務されました。昭和34年4月から国立公衆衛生院にて看護教員養成学科臨床看護の1年間の課程を修業され,同35年5月から同40年3月までは本学医学部附属看護学校の講師を併任し,同40年4月専任講師に配置換,同46年4月同校教務主任,同54年4月本学医療技術短期大学部設置準備室連絡委員会委員,同年10月同準備室室長補佐として,医療技術短期大学部の設置にご尽力されました。この間,社会の変化に適合した新たなカリキュラム開発及び独創的な教授法により,学生が主体的に学ぶ看護基礎教育の充実に努められました。また,本学医学部附属病院看護部と連携しながら,卒後研修にも積極的に関与し,医療者として社会的責任を果たすことのできる看護師の育成にご尽力されました。
 昭和44年3月には北海学園大学経済学部経営学科を卒業し,経営学士を取得されております。この経済学の知見をもとに診療報酬に看護技術をどのように位置づけるかについて,基礎教育においても先駆的な講義を展開されました。
 昭和56年4月より平成6年3月停年退職されるまでの13年間,本学医療技術短期大学部看護学科教授として多くの優秀な卒業生を輩出しました。卒業生は北海道内外において,看護学の教授,副院長となる看護管理者及び看護部長として多数が活躍しております。
 同氏の功績により平成7年4月には北海道大学医療技術短期大学部名誉教授の称号が授与されました。
 平成6年4月からは市立名寄短期大学看護学科の初代学科長に就任され,高齢者看護を発展させた功績等により同10年5月には市立名寄短期大学名誉教授の称号が授与されました。
 同氏は,1)看護の基礎教育及び継続教育に関する研究,2)看護師の社会的自立に関する研究,3)臨床看護技術に関する研究等に取組まれ,その研究成果を各研究会及び研修会等で数多く講演されました。また,わかりやすい看護技術の解説書は,後世に残る名著となっております。さらに,社会活動として,北海道看護協会の教育委員会,組織強化委員会等の委員長を歴任され,日本看護協会北海道地区理事としても重責を担われました。また,日本看護科学学会会員及び日本看護研究学会評議員として,各学会にも大きく貢献されました。
 以上のように,同氏は38年の永きにわたり本学に貢献し,看護学の教育者として優秀な人材を多数世に送り出し,また看護学の研究者として大きな業績を残されました。その功績は誠に顕著であります。

略 歴

生年月日   昭和6年1月20日
昭和31年4月   北海道大学医学部附属病院看護助手
昭和31年7月   看護婦に昇任
昭和34年4月 国立公衆衛生院にて研修(看護教員養成課程1年)
昭和35年3月
昭和35年5月   文部教官(北海道大学医学部附属看護学校講師)
昭和46年4月   北海道大学医学部附属看護学校教務主任
昭和55年4月   北海道大学医療技術短期大学部創設準備室室長補佐
昭和56年4月   北海道大学医療技術短期大学部教授(看護学科)
平成6年3月   北海道大学医療技術短期大学部を停年により退職
平成6年4月   市立名寄短期大学教授(看護学科長)
平成7年4月   北海道大学医療技術短期大学部名誉教授
平成10年3月   市立名寄短期大学を停年により退職
平成10年5月   市立名寄短期大学名誉教授
平成21年12月   名寄市立大学名誉教授に称号変更

(保健科学院・保健科学研究院)

金井  孝 氏

感 想

 記憶に関する現象の一つとして,溺れたり,何かの事故等で窒息しかけた人が蘇生した場合,危殆に瀕した極く短い時間の間に,生涯の歴史を細部に至るまで,鮮明に,実際に起こった通りの順序で思い浮かべるという事例が数多く報告されている。
 思い掛けず受勲のお知らせをいただいた時,私にもこれに似た現象が生じて,様々な記憶が甦り,共に働いた人々,教えを受けた方々の顔が次々と目の前にあらわれた。通奏低音となって響いているのは,これらの方々に対する感謝の念である。
 私共の親の世代の人達は,よく「口に福がある」という言い方をした。御馳走の席に居合わせたり,旨いものに巡り合ったりする幸運を言う。「幸福」は話し言葉にはなかったから,「コーフク」と言えば「口福」の事で,そこには,食べ物に恵まれた幸運を祝福する気持ちが込められていたように思う。
 図書館での日々を思い起こすと,京都・東京・熊本・静岡・札幌と十の図書館・室を転任する間に,所々方々で多くの敬愛すべき・よき人々に出合うことができた。「コーフク」に「交福」という文字を当て,勝手な造語をしたが,よき人々と職業生活の軌道が交叉し,共に働く幸運に恵まれたとの謂である。
 「交福」を与えて下さった方々の名前を列挙すれば,それだけで紙面が尽きてしまうが,その沢山の方々の代表として,お一人だけお名前を挙げさせていただく事にする。
 北大図書館長,故近藤潤一先生は,お仕えし,最も敬服している館長のお一人である。
 私には日々謦咳に接した先生のお姿と,長谷川三千子氏が著書「民主主義とは何なのか」で画いている「良い指導者」の像が,ピッタリ重なって見える。氏によれば「良い指導者にとって大切なことは,その指導者と共同体のメンバーとが,どれだけ信頼し合い,一致協力して事にあたることができるか,ということであって,それは同じ能力をもつ監督と選手を集めたチームがあっても,その相互信頼と一致協力の如何によって大きく成績が異なってくるようなものである。」そして,メンバー一人一人の努力こそが主役であり,「良き指導者はその活躍を上手に支えるべき黒子であるとさえ言える」という。
 近藤先生は,館長に就任された1989年・館報・楡蔭78号に「某日感想」と題して,前任の大野館長の業績を称え,「わたくしの役廻りは,うんと実際的な落穂ひろいに徹するというあたりか」と書いておられる。「落穂ひろい」とは主役・館員の「活躍を上手に支えるべき黒子」に徹する覚悟であったろうか。そして五年後・退任に当っての同90号への寄稿では「わたしがなしえたことは寥々たることだったかと思う。・・・にもかかわらず,現在,北海道大学図書館は,国立大学図書館の間では野心的な領導者として一目も二目も置かれる位置にいる。若い方たちの評判でも,いまもっともおもしろいのは北大だという定評が出来,事実北大図書館を志望する館員はすくなくない。これは,あげて北海道大学の館員のみなさんの努力とチームワークのおかげである。」と書いておられる。これは,あの「良き指導者」を彷彿とさせる文章である。このチームワークを作り上げ,一体感を醸成された館長にあらためて感謝を捧げたいと思っている。
 1994年初夏,離任に際して,館長が二三の館員ともども,石狩川の散策に誘って下さり,河口近くの店で時鮭の御馳走に与った。北海道の大きな風景の中で,最も北海道らしいものをという気くばりがわかる,口福・交福・幸福の三重奏であった。図書館での日々を思い起こし,あらためて,よき人々に出会えた幸運をかみしめている。

功績等

 金井 孝氏は昭和9年4月22日東京都荒川区に生まれ,同33年3月早稲田大学第一文学部哲学科を卒業されました。
 その後,昭和34年4月京都大学経済学部に採用,同37年4月文部事務官に任官となりました。同52年4月東京学芸大学附属図書館整理課長に昇任,同55年4月京都大学附属図書館閲覧課長,同59年4月東京大学附属図書館総務課長を経て,同63年4月熊本大学附属図書館事務部長に昇任,平成2年4月静岡大学附属図書館事務部長,同4年4月北海道大学附属図書館事務部長に配置換となり,同6年6月辞職されました。退職後は,平成6年7月から流通経済大学図書課長,同8年2月から同大学図書館次長兼図書課長として平成13年3月まで勤務されました。
 この間,同氏は一貫して大学図書館職員として,図書館の充実,発展と利用者に対する情報提供等の図書館活動に尽力されました。
 東京学芸大学附属図書館整理課長在任中は,プロジェクトチームを編成し,雑誌受入業務に必要な帳票類の自動編集・出力を可能とされました。京都大学附属図書館閲覧課長在任中は,「附属図書館新営計画」の作成に携わり,新営図書館の完成に大きく貢献され,東京大学附属図書館総務課長在任中は,総合図書館改修工事に完了まで取り組む一方,図書館電算化システム稼働に尽力されました。熊本大学附属図書館事務部長在任中は,業務フローの見直しを図り,図書館業務電算化を推進されました。静岡大学附属図書館事務部長在任中は,学内LANを利用したオンライン図書検索システムの運用に尽力されました。
 平成4年4月から北海道大学附属図書館事務部長に就任し,貴重資料の電子化・発信について,「北方関係資料総合データベース作成委員会」を設置し,マルチメディア対応「北方資料データベース」の構築に尽力されました。また,情報検索サービスについて,学術情報センターのNACSIS-ILLシステムに開始時から参加するなど,学術情報サービスの導入と拡充に努められました。
 北海道大学退職後は流通経済大学において,永年の実務経験を生かし学生の教育,指導を含めた図書館学の発展に貢献されました。
 以上のように,同氏は,図書館業務の専門家として永年にわたり大学図書館の進展に精励し,ひいては大学行政の発展に大きく寄与し,その功績は誠に顕著であります。

略 歴

生年月日   昭和9年4月22日
昭和33年3月 早稲田大学第一文学部哲学科卒業
昭和34年3月   文部省図書館職員養成所別科卒業
昭和34年4月   京都大学経済学部事務員
昭和37年4月   京都大学文部事務官
昭和52年4月   東京学芸大学附属図書館整理課長
昭和55年4月   京都大学附属図書館閲覧課長
昭和59年4月   東京大学附属図書館総務課長
昭和63年4月   熊本大学附属図書館事務部長
平成2年4月   静岡大学附属図書館事務部長
平成4年4月   北海道大学附属図書館事務部長
平成6年6月   北海道大学辞職
平成6年7月   学校法人日通学園流通経済大学図書課長
平成8年2月 流通経済大学図書館次長兼図書課長
平成13年3月

(附属図書館)

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