名誉教授 石垣 博美 氏 (いしがき ひろみ) 氏 (享年90歳)
名誉教授石垣博美氏は,平成25年7月6日肺がんのためご逝去されました。ここに,同氏の生前のご功績を偲び,謹んで哀悼の意を表します。同氏は大正12年2月10日士別市に生まれ,昭和19年10月東京帝国大学経済学部入学,兵役に従事しながら,同23年9月同大学を卒業されました。その後,昭和23年12月北海道大学法文学部文部教官に任命され,同25年12月同大学法経学部助手,同27年9月同大学法経学部助教授,同43年1月同大学経済学部教授に昇任されました。以来,昭和61年3月31日をもって停年退官するまで一貫して経済学史を講じ,学部ならびに大学院経済学研究科を担当し,学生の教育に尽力,数多くの優秀な人材を送り出されました。退官後は昭和61年4月1日付けで北海道大学名誉教授となり,引き続き北星学園大学経済学部教授として経済学史を講じて平成5年3月で退職するまで,私立大学においても教育活動を続けられました。
同氏は,狭隘な専門分野に偏ることなく広範かつ旺盛な学問的関心に基づき,様々な研究分野で優れた業績を上げてこられました。
その業績は次の3つの分野にまとめられます。
第1は,古典派経済学の研究です。同氏は,スミスからマルクスに至る経済学説の変遷を厳密周到に追及し,これを通じて学史研究上のひとつの独自な方法論の確立を目指し,そしてヒルファーディングの方法に対する犀さい利りな批判に収斂する一連の研究により,卓越した経済学史家として学会に不動の地位を確立されました。
第2は,欧米経済学・思想の日本への輸入・影響に関する研究です。同氏は昭和30年代後半から同50年代前半にかけて豪州や米国等に度々渡航され,そこで培った多角的・国際的な視点を活かして研究に邁進されました。その中でも,とりわけ同氏のベンサム論は,ドイツやアメリカの経済学に比し,我が国には受容されなかった理由を比較経済思想史の観点から究明しようとしたもので,ユニークな研究成果として国内外の注目を浴びるに至った優れた業績です。
そして第3は,国際経済関係あるいはカントリー・スタディズに関する研究です。これは比較経済体制論の観点から,日本,豪州,米国の3国のマクロ政策やその背後に潜む経済哲学を比較思想史の視点から分析し,3国相互の経済関係を考察しようとするもので,未開拓の分野に鍬を入れる先駆的試みとして注目されました。
以上の教育者,研究者としての貢献にとどまらず,同氏は北海道大学外にあってはアメリカ学会,オセアニア学会,オーストラリア経済学会等に所属され,また,北海道経済学会の理事,公益財団法人日米教育交流振興財団(フルブライト記念財団)が昭和61年3月31日付けで設立された当初の監事,及び一般社団法人北海道未来総合研究所の理事長を務め,各団体の発展及び運営に寄与されました。
公的機関とともに推進した活動としては,日本におけるアメリカ研究先端プログラムとして内外に注目を集めた北海道アメリカ研究会の毎夏主催したクール・セミナーを筆頭として,文部省の大学国際交流プロジェクト並びに大学基準協会のプロジェクトにそれぞれ参画し,我が国の学術研究の国際交流促進に寄与されました。
公的機関以外では,国際奉仕等を行う組織である国際ロータリー(RI)の会員となり,長年,国内外の留学者に対して積極的に手を差し伸べ,北星学園大学退職後も精力的に活動を行った結果,平成9年から同10年には国際ロータリー第2510地区ガバナーに任命され,国際的にもその功績が認められました。
他方,北海道大学内にあっては国立大学の中でも独自の試みとして知られた,当該大学の国際交流委員会の実施によるサマー・セッションプログラムの基礎作りと発展は同氏の貢献に負うところが絶大といえます。また,文部科学省の学生国際交流制度は,同氏のアイデアに基づいて骨子が組み立てられたといわれています。さらに,同氏は協定大学への学生の派遣にも貢献し,その結果,経済学部だけで昭和47年から同61年までの間に58名(北海道大学全体では72名)にも上る留学生を送り出されました。
さらに同氏は,昭和48年8月から同49年3月まで評議員として,また同55年1月から同56年12月まで経済学部長として本学の北海道大学の運営の要路につかれるとともに,大学院の管理運営や大学行政及び学部の発展に尽力されました。
そして,これまでの功績により,平成10年11月には勲二等瑞宝章を受章され,また同25年8月には正四位が授与されました。
以上のように,同氏は研究者として優れた業績を上げるのみならず,我が国の国際交流及び学術の進展に寄与されるとともに,教育者としても優れた人材を世に送り出し,また北海道大学等の大学行政及び研究・教育の発展に多大な貢献されました。
ここに,謹んで先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。