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春の叙勲に本学から5氏

 この度,本学関係者の次の5氏が,平成29年春の叙勲を受けることについて,4月29日(土)に発表となりました。
勲   章 経    歴 氏   名
瑞 宝 重 光 章  名誉教授(元 獣医学研究科教授) 喜 田   宏
瑞 宝 中 綬 章  名誉教授(元 工学研究科教授) 鵜 飼 驕@好
瑞 宝 中 綬 章  名誉教授(元 言語文化部教授) 浪 田 克之介
瑞 宝 単 光 章  元 北海道大学病院看護師長 佐 竹 惠美子
瑞 宝 双 光 章  元 工学部事務部長 槇   重 男
 各氏の長年にわたる教育・研究等への功績と我が国の学術振興の発展に寄与された功績に対し,授与されたものです。
 各氏の受章にあたっての感想,功績等を紹介します。

(総務企画部広報課)


喜田  宏 氏

感 想

 この度は,身に余る叙勲の栄に浴し,40年に亘り,研究と教育に専念させていただきました北海道大学の教職員,同僚の皆様と優秀な学生諸君の温かいご支援に心から御礼申し上げます。
 1976年に,7年間インフルエンザワクチンの開発・改良研究に携わりました武田薬品工業株式会社を辞して,北海道大学獣医学部講師に任用いただきました。以来,40年に亘り,インフルエンザ並びに人獣共通感染症の克服に向けた研究に専念させていただきました。その間に,インフルエンザが典型的な人獣共通感染症であること,パンデミックインフルエンザウイルスの出現機構,鳥インフルエンザの制圧対策などを解明・提案して参りました。2015年には,井村裕夫先生をはじめ内閣府総合科学技術会議,並びに戸谷一夫様をはじめ文部科学省の絶大なご支援により,北海道大学に人獣共通感染症リサーチセンターを設置していただきました。
 武田薬品工業株式会社でご指導いただきました上司の松山繁夫様,山本繁夫様をはじめ,同僚の皆様,北海道大学にお招きくださり,厳しくもご懇篤な教えを賜りました恩師の梁川 良先生をはじめ,先輩,同僚の諸先生,共同研究にご参加くださいました内外の諸先生,並びに優秀な学生諸君のお陰で所期の研究成果を挙げることができました。厚く御礼申し上げます。
 私は,実は,40年前には,教えることも教えられることも苦手でした。今は,この40年間に私と親しく共同研究に携わった多くの学生諸君が世に出て,使命感と責任感を持った見事な研究者,教育者に育たれた事実に感謝し,これを誇りとしています。

功績等

 喜田 宏氏は,永年にわたりインフルエンザウイルスの生態学的研究に取組み,疫学と実験研究を通じて,インフルエンザが人獣共通感染症であることを確定するとともに,自然界におけるウイルスの存続メカニズムと伝播経路,ウイルスの抗原変異及びパンデミックインフルエンザ*1ウイルスの出現機構を明らかにするなど,先駆的な研究を推進されてきました。また,世界に先駆けて人獣共通感染症リサーチセンターを北海道大学に創設し,感染症克服に向けた国際連携研究開発を推進するとともに,多数の専門家を養成して,国内外に輩出しています。
 インフルエンザAウイルスはヒトや動物に感染すると発熱や呼吸器症状を呈し死に至ることもある,いわゆるインフルエンザを発症します。ヒトでは新たなウイルスによって引き起こされるパンデミックインフルエンザの出現と季節性インフルエンザ*2の毎年の流行が,動物では鳥インフルエンザの猖獗(しょうけつ)が現在,世界の大きな社会問題となっています。
 同氏は,永年にわたって,インフルエンザウイルスの生態学的研究に取組み,疫学並びに実験的研究を通して,インフルエンザAウイルスの自然宿主*3は野生の渡りガモであること,並びに,シベリア,アラスカ,カナダなどの北方圏のカモの営巣湖沼水中にウイルスが存続していることを明らかにされました。すなわち,ヒトと動物に病気を引き起こすインフルエンザAウイルスは,そもそも野生の渡りガモの腸内ウイルスに由来するものであること,つまり,インフルエンザウイルスはヒトと動物の両方に病気を起こす,人獣共通感染症の病原体であることを明らかにされました。
 本業績に加え,地球規模の疫学研究によって,自然界におけるインフルエンザAウイルスの存続メカニズムと伝播経路,ウイルスの抗原変異やパンデミックインフルエンザウイルスの出現機構を明らかにするなど,先駆的な研究を行いました。これらの業績は,獣医学,ウイルス学への学術的貢献が顕著であるばかりでなく,家畜衛生学,公衆衛生学,さらには予防医学等の応用分野の進歩に寄与するところが多大で,国際的にも,人獣共通感染症の疫学研究モデルを提示したものとして,極めて高く評価されています。
 また,同氏は,平成17年には,世界に先駆けて北海道大学に人獣共通感染症リサーチセンターを創設し,インフルエンザを含む人獣共通感染症の克服に向けた国際共同研究・開発活動を主導されています。その成果が国際的に認知され,同センターは平成23年からWHO(世界保健機関)の人獣共通感染症対策研究協力センターに指定されています。
 さらに,同氏の真摯で情熱的な教育・研究活動を通し,きわめて多くの優れた専門家を養成し,国内外に輩出していることも特筆されます。

*1 パンデミックインフルエンザ:ヒトにとって新しいウイルスが世界に伝播して起こすインフルエンザの大流行。
*2 季節性インフルエンザ…現在ヒトで特に冬に流行しているインフルエンザ。季節性インフルエンザの原因ウイルスは,インフルエンザAウイルスとインフルエンザBウイルスに分けられる。人獣共通感染症の原因となるのは,インフルエンザAウイルスである。
*3 自然宿主…自然界においてウイルスなどの病原体が存続するための本来の棲家となる生物。インフルエンザAウイルスの自然宿主は野生の渡りガモであることを喜田氏が解明した。

略 歴

生年月日   昭和18年12月10日
昭和44年4月   武田薬品工業株式会社
昭和51年3月   北海道大学獣医学部講師
昭和53年4月   北海道大学獣医学部助教授
平成6年6月   北海道大学獣医学部教授
平成7年4月   北海道大学大学院獣医学研究科教授
平成13年5月 北海道大学大学院獣医学研究科長・獣医学部長
平成16年3月
平成17年4月 北海道大学人獣共通感染症リサーチセンター長
平成24年3月
平成19年12月   日本学士院会員
平成24年4月   北海道大学大学院獣医学研究科特任教授,
    北海道大学人獣共通感染症リサーチセンター統括
平成28年3月   北海道大学退職
平成28年4月   北海道大学名誉教授
    北海道大学ユニバーシティープロフェッサー
    北海道大学人獣共通感染症リサーチセンター特別招へい教授・統括
平成29年4月   長崎大学感染症共同研究拠点長

(獣医学院・獣医学研究院・獣医学部)

鵜飼 骰D 氏

感 想

 この度,春の叙勲で瑞宝中綬章の栄に浴し感謝に堪えません。これも偏にそれぞれの学び舎で受けた幾多の恩師,先輩,同僚,後輩の皆様方の温かいご指導とご支援の賜物と感じております。
 昭和20年8月の終戦の翌日,旧ソ連軍機の機銃掃射を避けながら女子供だけが小さな漁船に押し込められ,樺太からの強制疎開の第一陣として国籍不明潜水艦の脅威に曝されながら宗谷海峡を渡って北海道にたどり着いた時から,早くも72年が経ちました。そのことを考えると感慨ひとしおのものがあります。
 北海道大学工学部を卒業後2年半の会社勤務を経て,学科増設の要員として大学に戻ることになりましたが,教員生活にも慣れてきたいわゆる一番脂の乗りかけた頃,全国に広がった大学紛争・学生運動の洗礼を受けました。本部占拠や学部封鎖などの物騒な言葉が日常用語になった時代であり,満足に自分の時間が作れないこともありました。
 工学は,実学として人間の知恵やエネルギーが生産を支え,企業を育てる時代でありましたから,実学としての訓練が中心の時代に生きてきたと考えております。その時期には私の所属した機械工学の分野も近代化の黎明期・ルネッサンスの時であり,その後大きく変化しました。
 大学の使命は研究と教育であります。私の行ってきた研究は,機械構造部材に内在する残留応力の正確な測定法の開発です。広く人工構造物を構成する部材は,多くの加工工程を経るために歪み・残留応力が内在した状態にあります。それを用いる機械や構造物の設計の立場からすると,それら残留応力の正確な把握見積もりが,その構造物の寿命を決めるためにぜひとも必要になってきます。加工工程は機械的,熱的等々の様々な履歴を経ますので,それらに対応した測定手段を開発しなければなりません。そのような残留応力の簡便でかつ正確な測定方法の確立を目指してきました。また,作業者の人間性・誠実さが顕著に現れる人間中心型生産システムの一つである溶接接合技術における溶接欠陥の発生要因の解明を,残留応力評価の観点から研究してきました。これらの研究は時代とともに変化し,人間が介在せずに欲しい結果が得られる時代の先鞭をつけたものと自負しております。
 大学に戻った頃は,学生の兄貴のような年齢でしたので,研究室生活も和気あいあいであり,いまだに教え子たちとの交流が続いていることは嬉しい限りです。
 最後に,これまで育てご協力をくださった皆様に改めて心から感謝申し上げ,北海道大学がますます発展し,優れた研究,優れた人材を育てるよう発展を期待いたします。

功績等

 鵜飼骰D氏は,昭和35年3月北海道大学工学部機械工学科を卒業後,同年4月新三菱重工業株式会社(現 三菱重工業株式会社)に入社,神戸造船所機械設計部に勤務されました。昭和37年8月同社を退職後,直ちに北海道大学工学部講師に採用,同38年9月に助教授,同59年4月には教授に昇任され,機械工学第二学科機械設計学講座を担当されました。平成8年5月には機構改革に伴う大学院の一部重点化により,機械科学専攻設計機能工学講座の教授として適応設計学分野を担当,同9年4月大学院重点化の完成に伴い,北海道大学大学院工学研究科教授に配置換となりました。
 研究面では,曲率法による多層板,ひずみゲージ法による多層板,電着平板,電着多層円筒,X線による多層板や多層円筒,平面曲げによる鋼板,X線侵入深さを考慮した球や円筒,白色X線によるエネルギー分散法,コーティング界面,セラミックス,ハイドロキシアパタイト,生体骨組織といった数多くの機械構造物に応用される各種残留応力測定法に関する研究成果を公表し,この分野の発展に多大な貢献をなされました。
 また,人間作業システムや作業環境に関し,人間工学と経営工学を融合した人間中心型工程設計の研究にも成果を挙げられ,作業習熟,中高齢者の組立作業システム,ロボット組立ライン,取置作業の適正作業域,VDT作業の作業環境特性,立体作業域の設計要因,作業とエネルギー代謝等の研究により,この分野の発展にも貢献されました。
 さらに,整形外科及び福祉工学領域のバイオメカニクスに関する研究並びに人工股関節の機能的設計問題,骨格構造三次元形態計測,電動車椅子,側弯症計算シミュレーション,上肢筋力数値解析等の研究を行い,機械設計学の新たな分野への開拓・展開に寄与されました。
 学内においては,構内交通委員会委員,図書館委員会委員,図書館委員会理系分館検討小委員会,学生部委員,体育会ゴルフ部顧問,クラーク会館委員会委員,北海道地区国立大学大滝セミナーハウス運営委員,国際交流委員会学生交流専門委員会委員,公開講座委員会委員,百年記念会館運営協議委員,北海道大学主管共通第一次学力試験実施連絡部会部員を務められました。また,工学部においては,高エネルギー超強力X線回折室運営委員会委員,X線取扱管理者,研究開発協力相談室運営委員会委員を務められ,工学部の運営に参画されるとともに,その発展に尽くされました。
 以上のように,学生の教育,学術研究の発展,大学の運営及び産業界,地域社会に対する貢献は極めて大なるものがあります。

略 歴

生年月日   昭和12年4月17日
昭和35年4月   新三菱重工業株式会社神戸造船所機械設部産業機械設計課
昭和37年8月   北海道大学工学部講師
昭和38年9月   北海道大学工学部助教授
昭和59年4月   北海道大学工学部教授
平成9年4月 北海道大学工学部機械工学科長
平成10年3月
平成13年3月   北海道大学停年退職
平成13年4月   北海道大学名誉教授

(工学院・工学研究院・工学部)

浪田 克之介 氏

感 想

 この度,春の叙勲に際し,図らずも受章の栄に浴しました。身に余る光栄で,これもひとえに恩師,先輩など多くの方々のご指導,ご支援の賜物と心から感謝いたしております。
 本学の創基80周年に当たる1956年に文類に入学しましたが,当時はまだ学内に牧歌的な雰囲気が漂っていました。晴天の日には中央ローンや植物園でフランス語の授業があったりする一方,雨の日は使用不能な「雨天体操場」をはじめ今日の堅牢な建物とは違う木造校舎で,しかし良き師のもと大学院を修了するまで9年間を過ごしました。
 教員養成大学に3年間勤務した後,昭和43年から旧教養部と言語文化部で主として英語を,また教育学部で英語科教育法を担当しました。その間,大学紛争で授業も研究室の使用もできなかったこと,また,入学試験が国公立大学共通の一次試験と各大学の二次試験に分割されたり,本学の英語の出題に音声テストを導入するため,全学の試験場に音声装置を整備したこと,さらには言語文化部を母体とする大学院新設計画に時間を割いたことなどが思い起こされます。
 研究分野は言語学としての英語学から言語教育学に重点を移しました。言語教育学を含む学際的な応用言語学は1960年代後半から欧米で急速に発展し,本研究分野の確立に大きな貢献をしていた英国のエジンバラ大学に,1971年から1年間,ブリティッシュ・カウンシル奨学生として学ぶことができました。その後,学内外のこの領域に関心を持つ研究者とともに大学英語教育学会の北海道支部が創設されています。
 言語的多数派の子弟に,語学を含むほとんどすべての教科を,目標言語(第二言語)を使用して行う第二言語教育の方法があります。しかし,このイマージョンと呼ばれる言語教育もしくは学校教育は,英仏二言語併用主義と多文化主義を採用するカナダでは,単なる教育方法の問題だけではなく連邦政府の政策と関わり,言語政策の研究は必然的に地域研究,すなわちカナダ研究へと領域が広がります。本研究のため,カナダ政府の援助によりトロント大学に1982年から1年間滞在しました。これらの在外研修が所属学科に承認されましたことに改めて感謝いたします。
 最後に,大学を取り巻く環境は一層厳しさを増すことが予想されますが,北海道大学が本学の建学精神に基づき教育研究の場としてますます充実し,その使命が果たされることを願っております。

功績等

 浪田克之介氏は,昭和12年7月16日に北海道に生まれ,同35年3月北海道大学文学部文学科(英語英米文学専攻)を卒業後,同年4月北海道大学大学院文学研究科修士課程に進学し,同37年3月文学修士号を取得,引き続き同大学大学院文学研究科博士課程に進学し,同40年3月同課程を単位取得満期退学しました。昭和40年4月北海道学芸大学岩見沢分校(現 北海道教育大学岩見沢校)に助手として勤務し,同41年4月講師に昇任,同42年4月に助教授に昇任されました。昭和43年4月北海道大学文学部講師として転任し,同50年1月助教授に昇任されました。昭和56年4月に北海道大学言語文化部助教授に配置換となり,同60年4月教授に昇任し,平成9年4月から同11年3月まで北海道大学言語文化部長を務め,同13年3月に北海道大学を停年にて退職されました。平成13年4月に北海道大学名誉教授になられ,また,北海道情報大学教授に就任し,同20年3月に退職されるまで,応用言語学の研究・教育に努められました。
 応用言語学の教育・研究において,浪田氏は,カナダの多文化主義的言語政策や2言語併用教育の状況を日本に紹介してカナダ研究の振興に貢献するとともに,現代英語の慣用法及び語彙に関する深い洞察を基盤として辞書や英語学・英語教育学用語辞典の編纂に寄与し,また,ヨーロッパで提唱された伝達能力重視型の外国語教授法にいち早く着目して日本の英語教育の発展に貢献されました。
 また,北海道大学言語文化部長としては,大学院大学を目指した当時の北海道大学で国際広報メディア研究科の設立へ向けての準備に尽力し,英国ウォーリック大学との部局間交流協定を締結して大学教育の国際化に貢献されました。さらに,同大学在任期間中,全学教育における英語教育の標準化,入学試験改革,コンピュータを使った外国語教育の環境整備に尽力され,日本の高等教育における英語教育改革の先陣を切り続けました。
 学外にあっては,平成16年から日本カナダ学会副会長として同学会の組織運営に努めたほか,大学英語教育学会では北海道支部の設立に尽力し,同支部幹事・支部長を歴任されました。浪田氏はさらに,同学会において平成6年から同14年まで理事を,同17年から現在まで顧問の職を務め,また,同20年から同24年まで日本言語テスト学会会長に就任し,我が国の英語教育の学問的発展と実践における改善に寄与されています。
 以上のように,同氏は,応用言語学研究と我が国の英語教育改革に尽くしたものであり,その功績は誠に顕著であります。

略 歴

生年月日   昭和12年7月16日
昭和40年4月   北海道学芸大学岩見沢分校助手
昭和41年4月   北海道教育大学岩見沢分校講師
昭和42年4月   北海道教育大学岩見沢分校助教授
昭和43年4月   北海道大学文学部講師
昭和50年1月   北海道大学文学部助教授
昭和56年4月   北海道大学言語文化部助教授
昭和60年4月   北海道大学言語文化部教授
平成9年4月 北海道大学言語文化部長・評議員
平成11年3月
平成13年3月   北海道大学停年退職
平成13年4月   北海道大学名誉教授,北海道情報大学教授
平成20年3月   北海道情報大学退職

(国際広報メディア・観光学院,メディア・コミュニケーション研究院)

佐竹 惠美子 氏

感 想

 この度,図らずも叙勲の栄誉を賜り,身に余る光栄と感激致しております。これもひとえに関係の皆様のご尽力の賜物と深く感謝し,お礼申し上げます。
 私は,昭和54年8月北海道大学病院に就職し,34年間勤務させていただきました。最初の配属は,産科新生児室で,翌年4月に小児科病棟に異動になり,嬉しかったことを鮮明に覚えています。小児看護には,予見性・洞察力・多角的かつ多様な対応力がより一層求められるため,看護の醍醐味や達成感を味わうことができます。成長発達への支援・家族看護など困難なこともありましたが,患児の笑顔に救われました。
 その後,新生児室,救急部,手術部を経て,昭和63年からは,副看護婦長として,特殊検査室,放射線科病棟を経験しました。平成4年に眼科看護婦長に就任し,移転時には,患者さんのQOLを考えて管理課の皆様と施設・設備(音声・点字システムなど)の設置を行いました。
 平成8年から9年間は,材料部看護師長として,臨床現場の業務削減に取り組みました。材料部は先駆的役割を担っており,文部科学省からの視察をはじめ,国内外から年間約300名の見学者や研修生を受け入れ,看護助手の対応力や取り組み姿勢は高い評価を得ました。
 平成17年には,第一外科・小児外科病棟に異動になり,先端医療と教育並びに医療経済のあり方(在院日数の短縮,稼働率の向上,費用対効果など)を学び,国際学会や他施設との交流の中でも見聞を広げることができました。平成20年に医療安全管理部GRM(ゼネラルリスクマネジャー)に就任し,医療事故の関係者や面識のない患者さんやご家族への対応の中で,信頼関係構築の重要性を再認識しました。
 平成23年には,念願の小児科病棟に異動になり,集大成として,充実した3年間を過ごすことができました。小児看護の専門性を習熟できる人材育成,経営改善など多岐にわたり,医師やスタッフと協働して取り組んだ結果,院内の各方面から評価していただきました。お陰様で獲得したインセンティブ経費により,学会や研修に沢山のスタッフが参加でき,保健科学研究院看護学教授との共同で,ICN International Conference 2013で「海外で治験を受ける子供の両親の意思決定に関する支援」を報告することもできました。
 看護研究は,入職時から年間複数演題報告しており,また,千葉大学看護実践研究指導センターの6ヶ月研修(看護実践研究講習会)にも参加させていただき,私のライフワークとなりました。同僚やスタッフと論文をまとめ,成果を数多くの学会で報告できたことを誇りに思っています。
 北海道大学病院での看護師生活を振り返る時,諸先輩・同僚・後輩・他職種など様々な方々にご支援やご指導をいただいていたことを実感し,感謝の気持ちで一杯です。今後はこの栄誉に恥じることのないよう過ごしてまいりたいと思います。
 最後になりますが,北海道大学,北海道大学病院,看護部の発展をご祈念申し上げ,お礼の言葉と致します。

功績等

 佐竹惠美子氏は,昭和28年4月12日に北海道厚岸郡厚岸町に生まれ,同51年3月に北海道立釧路高等看護学院を卒業後,他病院での勤務を経て,同54年8月に北海道大学医学部附属病院に採用,同63年副看護婦長,平成4年看護婦長を歴任し,同26年3月に北海道大学病院を定年にて退職されました。
 同氏は,当初,産科病棟,小児科病棟,手術部・救急部で勤務し,副看護婦長に昇任後は放射線科病棟で患者の生活に視点を置いた看護を実践されました。この間,看護実践研究講習会を受講,臨床での看護実践を研究としてまとめる重要性を学び,臨床現場に活用する一方,研究指導も積極的に行いました。
 看護婦長時代は,眼科病棟,材料部ナースセンター,第一外科・小児外科病棟,医療安全管理部,小児科病棟で勤務されました。
 材料部ナースセンターでは,全国の材料部の先駆的役割を発揮し,国内外から年間約300名の見学や研修を受け入れました。また,臨床現場の負担軽減や質向上のため,全国に先駆けて器材洗浄の一元管理,ME機器管理センターの設置,物流管理システムの構築に取り組まれました。学会発表や論文投稿も多く行い,平成12年の全国国立大学病院材料部部長看護婦長会議では当番校として,全体会での「材料部の役割と機能」調査報告や,講演を行い,全国の材料部の発展や質向上に貢献されました。平成15年には,日本看護協会認定看護管理者制度セカンドレベル教育課程を受講し,看護管理者としての資質向上にも努められました。
 平成20年からは,医療安全管理部でGRMとして医療安全管理体制の整備・運営に尽力された後,小児科病棟では小児看護の専門性に習熟した人材育成に取組み,ICN(国際看護師協会)International Conference 2013での「海外で治験を受ける子供の両親の意思決定に関する支援‐不安と心配事に焦点を当てた検討‐」等学会発表も多く行い,専門性の高い小児看護実践の質向上に貢献されました。
 同氏は社会活動も精力的に行い,国立大学附属病院医療安全管理協議会GRM部会研修企画会議議長,北海道造血細胞移植研究会幹事などを歴任,また北海道看護協会では業務委員や現任教育研修会講師等を担当し,道内における看護師のニーズに対応した研究企画・支援など看護の質の向上に貢献されました。
 以上のように同氏は,34年以上の永きにわたり看護管理・教育の充実に尽くされ,その功績は誠に顕著であります。

略 歴

生年月日   昭和28年4月12日
昭和54年8月   北海道大学医学部附属病院看護部
昭和63年4月   北海道大学医学部附属病院看護部副看護婦長
平成4年4月   北海道大学医学部附属病院看護部看護婦長
平成15年10月   北海道大学医学部・歯学部附属病院看護部看護師長
平成16年4月   北海道大学病院看護部看護師長
平成26年3月   北海道大学定年退職

(北海道大学病院)

槇  重男 氏

感 想

 この度の春の叙勲で瑞宝双光章拝受の栄に浴し,身に余る光栄に感激しております。
 昭和30年3月,高校卒業と同時に北海道大学医学部附属病院職員となりました。その後,定年退職までの約40年間は,医学部附属病院,事務局,水産学部,獣医学部,文学部,理学部,2度目の医学部附属病院,工学部で,北大を出ることはなく,幸せな北大勤務でした。
 定年後には大腸がんを患い,入退院を繰り返してきましたが,現在はがんも完治して,マイペースでマラソンを楽しんでいます。今年も北海道マラソンで北大構内を走ることを楽しみにしています。

功績等

 槇 重男氏は,昭和30年3月北海道札幌伏見高等学校を卒業後,同年3月北海道大学医学部附属病院臨時用人に採用され,同32年10月医学部附属病院事務員に配置換となりました。昭和36年9月文部事務官に任官され,同42年4月水産学部経理掛長に昇任,同46年4月施設部企画課管理掛長に配置換となった後,同年8月施設部企画課工事契約掛長,同48年1月施設部企画課工事司計掛長,同49年4月経理部主計課第二予算掛長,同51年4月経理部主計課監査掛長,同56年4月経理部主計課総務掛長を歴任され,同57年4月医学部附属病院管理課課長補佐に昇任,同58年4月経理部主計課課長補佐,同62年4月獣医学部事務長,平成2年4月水産学部事務長,同4年4月文学部事務長,同6年4月理学部事務長を歴任された後,同8年4月工学部事務部長に昇任され,同9年3月定年により退職されました。
 この間,同氏は北海道大学に42年の永きにわたり勤務され,特に昭和62年4月から退職までの10年の間,部局事務責任者である事務長または事務部長として卓越した行動力と実行力,そして広範な知識と経験をもって部下の指導と育成に努められるとともに,当時の部局長を側面から支援しながら管理運営にあたり,歴任した各部局の発展及び整備充実に尽力されました。
 特に工学部では,同氏の事務部長就任当時,土岐祥介工学部長のもと,大学院重点化構想により,4専攻群11専攻41大講座2協力大講座4学科群12学科による大「工学研究科」への改組が進行中であり,同氏は社会工学系専攻群の大学院改革に着手されました。平成9年4月の改組に向け,概算要求案の事務局及び文部省におけるヒアリング,工学部改革推進委員会,設立準備委員会など多岐にわたる繁忙な業務にもかかわらず,事務部の責任者として適切な指示・指導及び関係教官への事務面での適切な助言等により,新専攻群の組織及び新教育研究体制が整備され,平成6年度から始まった工学部の大学院重点化は実質的に完了し,今日の大学院工学研究院・工学院・工学部の基礎となる組織改革に大いに寄与されました。
 大学院重点化に伴い,工学部への寄附講座設置の交渉が順次進み,平成8年10月土木工学科「雪氷工学講座」,同9年4月都市環境工学専攻「水環境工学国際(西原)講座」,環境資源工学専攻「都市代謝システム工学(荏原)講座」の設置に大いに貢献されました。また,平成8年7月には,工学部ベンチャー・ビジネス・ラボラトリー棟,同8年10月には工学部材料化学系実験棟,工学部パワーセンターがそれぞれ工学部敷地に設立され,増築工事落成に尽力されました。
 以上のように同氏は,永年にわたって大学行政の進展に精励され,その功績は誠に顕著であります。

略 歴

生年月日   昭和12年1月11日
昭和30年3月   北海道大学医学部附属病院臨時用人
昭和32年10月   北海道大学医学部附属病院事務員
昭和33年9月   北海道大学会計課給与掛
昭和35年8月   北海道大学経理部主計課監査掛
昭和36年9月   文部事務官
昭和42年4月   北海道大学水産学部経理掛長
昭和46年4月   北海道大学施設部企画課管理掛長
昭和46年8月   北海道大学施設部企画課工事契約掛長
昭和48年1月   北海道大学施設部企画課工事司計掛長
昭和49年4月   北海道大学経理部主計課第二予算掛長
昭和51年4月   北海道大学経理部主計課監査掛長
昭和56年4月   北海道大学経理部主計課総務掛長
昭和57年4月   北海道大学医学部附属病院管理課課長補佐
昭和58年4月   北海道大学経理部主計課課長補佐
昭和62年4月   北海道大学獣医学部事務長
平成2年4月   北海道大学水産学部事務長
平成4年4月   北海道大学文学部事務長
平成6年4月   北海道大学理学部事務長
平成8年4月   北海道大学工学部事務部長
平成9年3月   北海道大学定年退職

(工学院・工学研究院・工学部)

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