名誉教授 藤井 武治 氏(享年76歳)
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名誉教授 水産学博士藤井 武治氏は,平成12年3月10日午前0時13分,急性心不全のため満76歳にて逝去されました。ここに生前のご功績を偲び,慎んで哀悼の意を表します。
同氏は,大正13年3月7日福井県に生まれ,昭和19年9月函館水産専門学校遠洋漁業科を卒業,直ちに充員召集を受け艦艇勤務,終戦後は復員事務官として復員船勤務,その後福井県地方技官,民間会社を経て,昭和23年4月函館水産専門学校練習船おしょろ丸次席一等航海士として勤務,同年8月文部教官に任命され,昭和25年8月北海道大学水産学部練習船おしょろ丸船長に昇任,その後同学部練習船北星丸船長,練習船おしょろ丸船長を歴任し,昭和48年7月教授に昇任,昭和60年1月同学部漁業学科に配置換になりました。昭和62年3月同大学を停年により退職し,同年4月北海道大学より名誉教授の称号を授与されました。停年退職後は昭和63年4月から平成9年3月まで函館短期大学教授として勤務,私学の発展にも尽力されました。
その間,昭和47年3月「ベーリング海東部海域における西部アラスカ系ベニサケの回帰回遊と海況との関係に関する研究」により北海道大学から水産学博士の学位を授与されました。
同氏は,39年の永きにわたり教育研究に携わり,特に海上における実習教育において多数の学生を薫陶されました。
調査研究面においては,昭和29年〜昭和30年初めてインド洋のマグロ延縄実習を行いました。その後,冬季に実施する南方航海はインド洋を実習海域とし,マグロの資源・回遊調査を継続してきました。昭和30年の北洋航海は日米加三国共同の北太平洋国際海洋観測(NORPAC)への参加でした。この航海の調査によってアリューシャン列島の南側を西進するアラスカンストリームの存在を示し,国際的に高く評価されました。以後,北洋を夏季調査海域として海洋観測・漁場調査を継続してきました。流し網に拠る漁場調査は水産庁指定の目合の異なる網地を使用して,主としてサケ・マスその他アカイカ・サンマ・サメ類・エチオピアなどの資源・回遊調査を継続してきました。また,ベーリング海大陸棚においてトロール網によりスケトウダラ・マダア・カレイ類の資源・回遊調査も実施しました。
昭和37年9月「おしょろ丸三世」が竣工,船型を船尾トロール型としたことにより,流し網・延縄・トロール網の操業が安全・容易となりました。更に,可変ピッチプロペラ・バウスラスターの装備により操船も容易となったので,海洋観測・操業・資料採集は能率良く実施され,船足のアップと相俟って調査海域は拡大し,調査内容は一層の充実をみました。
おしょろ丸の北洋航海は日米加漁業協定下の日本側科学調査船の任務を課せられていましたので,太平洋亜寒帯海域の調査効果の一層の向上を図り,北海道大学練習船北星丸と協議して,180度子午線はおしょろ丸,東経155度線を北星丸がそれぞれ分担して調査を継続し,同海域の水塊究明に努めました。その調査結果は,北太平洋漁業国際委員会(INPFC)の研究報告に引用されています。
おしょろ丸の北洋における調査にはアメリカ合衆国のアラスカ大学,オークベイ研究所,ワシントン大学海洋・水産学部及びオレゴン大学などから調査・研究のための大学院生及び研究員の乗船希望が多々あり,文部省・水産庁の了解のもと毎年2〜3名の調査・研究員の乗船が認められてきました。これらの実績が発端となり昭和61年9月に北海道大学水産学部とアラスカ大学フェアバンクス校水産・海洋学部,昭和63年6月に北海道大学水産学部とワシントン大学海洋・水産学部間で学術交流協定が締結されました。
このように,実習航海水域に即した海洋漁場の研究が進められ,従来行われていた漁獲試験結果に環境条件として海洋調査資料の分析を加え,漁場の研究発展に貢献し,その調査資料は昭和29年発行の海洋調査漁業試験要報により毎年公刊されています。特にベーリング海東部底曳漁場及び同水域におけるブリストル湾系ベニサケ回遊研究の調査資料は関係各国間に高く評価され海洋漁業の発展に寄与しています。
学外においては,全国水産系大学練習船協議会副会長,函館地方海難審判庁参審員を歴任し,海難事故発生の原因究明に努め,事故の再発防止に寄与しました。
学内にあっては,昭和60年4月から昭和62年3月まで北海道大学評議員として大学運営の枢機に参画し,北海道大学の充実発展に尽力されました。
ここに先生のご冥福を心からお祈り申し上げます。
(水産学部)
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名誉教授 東 晃 氏(享年78歳)
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名誉教授理学博士東晃氏は,平成12年3月23日午後2時11分,札幌市の札幌医科大学附属病院にて敗血症のため逝去されました。ここに生前のご功績を偲び,謹んで哀悼の意を表します。
同氏は,大正11年1月20日東京に生まれ,昭和20年9月北海道帝国大学理学部物理学科を卒業し,引き続き同大学大学院特別研究生となり,昭和25年9月その後期課程を修了されました。ただちに北海道大学理学部講師に任ぜられ,同27年6月同助教授に昇任されました。さらに,昭和39年10月北海道大学工学部教授に昇任し,応用物理学科応用物性学第一講座を担任され,工学部に開設されたばかりの同学科の中心となって講座編成,学科の整備,研究教育設備の充実など新学科の基礎作りと発展に大いに尽力されました。昭和60年3月に停年により退職,同年4月北海道大学名誉教授の称号を授与されました。さらに,国際基督教大学教授に任ぜられ物理学の研究教育に尽くされ,平成4年3月停年退職されました。
この間,凍土の熱伝導特性と凍上機構の解明の研究をまとめた「土の熱伝導率とくに凍土の熱伝導率について」により,昭和26年10月理学博士の学位を授与されました。その後,昭和30年8月から同33年4月に至る間米国雪氷凍土研究所に招聘され,寒冷気候下の地面におこる凍上現象,構造土形成の機構の研究を推進しました。帰国後は,氷結晶の物性研究を指向し,昭和35年5月には第一次北海道大学アラスカ氷河調査隊を組織し,アラスカ・メンデンホール氷河に遠征して,同氷河産の天然巨大単結晶氷約半トンを北大に持ち帰りました。この単結晶を用いて氷の結晶塑性機構を明らかにしました。さらにX線回折顕微法によって,結晶中の転位構造を観測し,自然界における巨大単結晶の形成機構を解明されました。また,人工的に育成した完全性の高い単結晶氷の成長機構の研究に従事しその成長過程と機構を明らかにするとともに,結晶中の転位の構造とその運動を明らかにし,氷結晶の転位論を構築されました。これらの研究業績に対して昭和43年秋に日本雪氷学会学術賞,同44年春には山路ふみ子自然科学奨励賞が授与されました。さらに,氷の物性研究の舞台を南極,グリーンランドの氷床深層氷に拡張し,氷床の動力学を支配する諸要素についての新しい研究分野を展開されました。以上の研究成果は多数の研究論文や多くの国際会議における発表となって現れ,当該分野の研究に著しい発展を促すとともに国際的にも高い評価を受けていることは特筆に値するものです。永年にわたる氷結晶研究の優れた業績に対して,国際雪氷学会からセリグマン賞が授与されました。
一方,学内の管理運営面では,北海道大学改革検討委員会第2−1専門委員会委員,入学者選抜試験制度調査委員会委員,教養課程改革調査室委員などを歴任され,昭和48年6月から同50年5月まで北海道大学評議員として大学運営の枢機に参画されました。また昭和58年4月からは大学院委員会委員を務められ,同年10月から退官まで本学附属図書館長に併任されて図書館の発展に尽力されました。
学外においては,学術審議会専門委員,国立極地研究所評議員,同所運営協議員,同所専門委員会委員,日本雪氷学会会長,同学会副会長,同学会北海道支部長,日本結晶成長学会評議員,日本応用物理学会北海道支部長,日本積雪連合副会長として,学術研究の推進発展に貢献されました。また海外においても国際雪氷学会副会長を歴任し,同学会誌および国際誌「寒地理工学」の編集委員を務めるなど,国際的な雪氷研究の発展に尽くされました。
以上のように,同氏は,永年にわたり教育・研究に尽力され,学内外において多くの功績を重ねてこられました。
ここに,先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
(工学研究科・工学部)
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