名誉教授 矢 田 俊 隆 氏(享年84歳) |

名誉教授 法学博士 矢田俊隆氏は,平成12年7月14日横浜市内の病院で心不全のため,急逝されました。
ここに生前の御功績を偲び,慎んで哀悼の意を表します。
同氏は大正4(1915)年三重県桑名市に生まれ,昭和15(1930)年東京帝国大学大学院修了後,東京帝国大学副手,成蹊大学教授を経た後,昭和25(1950)年4月より北海道大学に法経学部教授として赴任されました。昭和28年8月からは法学部教授となられ,昭和54年4月停年退官とともに本学名誉教授の称号を授与されました。退官後は昭和61年4月まで成城大学法学部教授を勤められ,その後は悠々自適の生活を送っておられました。
同氏は本学法学部において29年に亘って政治史第二部講座(ヨーロッパ政治史)を担当され,法学部,大学院,教養課程における教育に尽力され多くの学生に多大の薫陶を与え,さらに後進研究者の指導育成にあたられました。それとともに,北海道大学法学部附属スラブ研究施設(現スラブ研究センター)研究員を併任され同施設の研究,運営にも参画されています。
又,昭和32年から二度にわたり北海道大学評議員を勤められた後,39年1月から41年1月迄法学部長となられ,学部並びに大学の充実発展に大いに貢献されました。さらに昭和49年から一年間教養課程特別委員として教養課程改革に努力された他,53年にはスラブ研究センター設置準備委員として同センターの設立に尽力されています。
同氏の学問研究は前期にはドイツ近現代史,後期はハプスブルク帝国史を対象に展開されました。御自身深く親炙されたF.マイネッケにならった理念史的政治史に社会経済史を加味された独特の均整のとれた歴史の分析と明晰な記述には,学界では勿論のこと,広く一般読書界においても高い評価が与えられました。
とりわけ,後期に取り組まれたハプスブルク帝国史研究は何よりもその後の日本における中・東欧歴史研究の先駆けをなす貴重な業績でした。その成果は『近代中欧の自由と民族』(1965)と『ハプスブルク帝国史研究』(1978)に纏められています。さらに退官後は現代オーストリアについても研究をすすめられ,『オーストリア現代史の教訓』(1995)を上梓されています。
その他F.マイネッケ『国民国家と世界市民主義』『ドイツの悲劇』,さらに退職されてから行われたB.ジェラヴィッチ『近代オーストリアの歴史と文化』の明晰且つ平明な日本語による翻訳も名訳として後世に伝えられるものです。
昭和63年には研究,教育,大学運営に対する永年の貢献を評価され,勲二等瑞宝章を叙勲されています。
以上のように同氏は永年にわたり研究者・教育者として多くのすぐれた成果,業績をあげ,学界における学術研究の水準を引き上げたのみならず,広く江湖におけるヨーロッパ政治史理解の深化と普及に貢献されました。
ここに矢田俊隆名誉教授の御冥福を心からお祈り申し上げる次第です。
(法学研究科・法学部) |
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