名誉教授 上 杉 重二郎 氏(享年87歳) |
上杉重二郎名誉教授は,2000年11月6日に逝去された。肺癌であった。以下に閲歴を叙し,哀悼の意に替える。
上杉先生は,慎吉・ノブ夫妻の次男として1914年8月29日に東京で生まれた。東京高等師範学校附属中学校を1932年3月に卒業し,同年4月に浦和高等学校文科乙類に入学し,1935年3月に修了した。同年4月に東京帝国大学文学部国史学科に入学し,1938年3月に卒業した。卒業論文のテーマは「我が国に於ける立憲政治の確立について」であった。大学在学中は歴史学研究会で羽仁五郎らと親しく交わった。
1935年4月に朝鮮総督府実業学校教諭となり,京城工業学校教諭・京城高等工業学校助教授を兼任した。1939年4月には京城高等商業学校助教授となり,1941年2月に同校教授となった。1943年6月1日,臨時召集により朝鮮第7421部隊に入隊し,1945年8月15日に召集解除となり,1945年11月25日に帰国した。徴兵されていた間の1944年4月に京城高等商業学校は京城経済専門学校となった。1946年5月には植民地官制が消滅して同校も廃止となった。敗戦後は朝鮮関係残務整理事務所に属していたが,同校廃止にともない退官となった。
1946年6月には日本近代史研究所員となり,1947年1月には財団法人政治経済研究所員に転じた。1952年4月には県立静岡法経短期大学助教授に転じ,1955年6月には教授となった。同年7月,同短期大学部の国立移管にともない静岡大学法経短期大学部教授となった。1957年4月には辞職し,ドイツ民主共和国ベルリン大学客員教授として日本近代史を講ずるために渡欧した。
この間,「解放された朝鮮」(『日本評論』1946年2月号)で,1945年8月15日に太極旗が朝鮮全土で一斉に翻った様子を描いたのをはじめ,「漁業労働の実態・神奈川県三崎町における階級闘争」(『政経調査月報』Y16,政治経済研究所,1950年6月),『漁村に過剰人口の形成−静岡県榛原郡御前崎村の調査報告』(東大農学部農業経済学教室,1954年)など21篇の漁業労働者調査・論文,「憲法制定と反革命」(『民衆の旗』民主主義文化連盟,1947年6月),『帝国議会の歴史と本質』(岩崎書店,1954年)など33篇の近代日本政治史と現代史に関する評論・論文を著した。
『帝国議会の歴史と本質』は一連の業績の頂点に位置する。同書は,ブルジョアジーの政治的進出と天皇制官僚・軍部,そして政党との結合の強化の過程,およびそれらが常に自由民権運動・労働運動・ロシア革命・米騒動など人民の諸闘争との拮抗のもとで展開したことをとらえきった。帝国議会史の叙述が農民騒擾に始まり,朝鮮における3・1独立運動で終わっているのは,「植民地の現実は私の歴史観を確立させた」(同書「あとがき」)という立場を象徴的に現している。階級的立場は明確であり,少しの揺るぎも見出すことはできない。
1962年8月にはベルリン大学を辞し,財団法人政治経済研究所員嘱託・国士舘大学教授を経て,65年10月には本学部助教授として赴任した。1969年4月に教授となり,同年10月から1972年4月まで評議員を務めた。1972年4月1日には教育学部長となり1973年9月1日に辞任した。1978年4月1日に定年退官となった。
この間は,東西ドイツの外交政策・政治経済事情の現状分析とドイツ労働運動史研究に心血を注いだ。『ベルリン東と西』(三一書房,1962年),「変形国家・東ドイツ」(講座『現代』3,岩波書店,1963年),『ドイツ革命運動史』上下(青木書店,1969年),『統一戦線と労働者政府─カップ叛乱の研究』(風間書房,1978年)など,145篇の論文・著作を著した。
経済学博士(東京都立大学)を取得した『ドイツ革命運動史』は,ナチスの台頭に抗する共産主義者・社会民主主義者・自由主義者・キリスト教徒らの統一戦線の可能性と挫折の過程を剔りだし,東ドイツの建国を統一戦線運動の結実とみなした著作である。政治史でありながら,ドイツ民衆状態史といってもよい生活の細部の叙述は流麗である。
上杉先生の,史料の博捜と紙背に徹する史料批判へのただならぬ姿勢は,それだけで研究者の模範であった。「1日に1頁の史料を読めば,1年で365頁」と言われたことがあるが,意味ある史料についてそれを為すのは実は容易ではない。粒々辛苦してたどりついた心許ない結論を議論の対象に据えて激励した。もちろん批判を怠ることはなかった。しかし,手抜きの仕事は反論の余地がない徹底的な批判を浴びる覚悟が要った。にもかかわらず,手抜きの仕事と曖昧な態度をとる院生・研究者は少なくなかったのである。容赦ない批判は小気味よいものがあった。
国家権力・支配階級・不正,そして同僚に対して厳格であった上杉先生は,学生には理屈抜きに優しかった。先生が作成した1966年5月19日付の「卒業論文のテーマの選定について」(メモランダム)には,「史料の存在,テーマの現代的意義,そのテーマに関する従来の研究成果,論文・史料の蒐集,モデル,法則・論理」とある。卒業論文指導に臨むに際してのメモランダムである。この順序で学生に質していったのである。このように準備して学生に接した教員は稀である。
「羽仁五郎さんとはどんな勉強をしたのか」という問に,「いや,それがいつもすき焼きを食べただけなんだ」とすかさず応答があったが,ややあって「僕の話の三分の二は羽仁さんに聴いたことだよ」と言われた。一瞬眼光が増した。思い出すことは多い。
(教育学研究科・教育学部)
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